[2025年4月2日]
こんな標題を書くと「お前は、学校や先生を下に見ているのか?」と又々お叱りを頂きそうですが、勘違いしないで下さい。決して、学校や先生を否定しているのではありません。
では、ひとり言を始めます。
公立の地元小・中・高校生とその保護者の意識や行動、私たちへのお言葉を聞いていると「??
??」と感じることが増えてきました。それは「学校絶対(至上)主義」です。
昔の学校の常識と、近年や直近の学校の状態は、当然のことですが変化しています。
「体罰禁止」や「生徒に合わせて」「生徒の意向を」「人それぞれ」「個性」の号令の下、現在の地元小・中学校は「生徒が聞いてようが無視してようが」注意することが出来なくなっています。これは先生の能力の問題では無く、勘違い保護者の「家の子は特別」「家の子はやってる」「家の子は良い子」がきっかけに「学校で躾を」「学校が責任を持って受験まで」の【何でもかんでも他人任せ】【何でもかんでも他人への責任追及】がそうさせている様に感じます。
小・中学校の授業でも、先生の説明を聞かず、暗記などの指示にも従わずテストの点数が低いと『先生の教え方が悪い』とか『先生との相性が・・・』と又々責任追及が始まります。
先生方も生徒の成績アップが望みです。するとどうしても(心苦しくても)クラス全体の点数アップの方法を考えます。しかし、公立の小・中学校には色々な生徒が居ます。素直な生徒、呑み込みが早い生徒、逆に言っても言っても従わない生徒、時間の掛かる生徒。保護者も同様です。では先生はどこに向けて指導をするかと言えば、かなりの下位者に照準を合わせたレベルの授業しかできません。その結果が現状の小・中学校で行われている「式も答えも全部説明した【まんま】しかテストに出さない」です。つまり、生徒は全てのテストの答えを知っているはずです。なのに「小学校で80点」とか「中学校で平均点58点」て何でしょう?
これで小学校で90点95点取ってるから「家の子は優秀」、あゆみ(通知表)が「よくできる」なので「家の子は良く出来る子」と『中学受験します。〇〇中学(偏差68)を』と、私たち(塾)に「責任取って」って言われても・・・。
高校受験を目指している中学生でも「何か、こんな感じ」「よう分からんけど、先生がこう言ってたから、こう書いとけば・・・」「この単語の後ろにはいつもこれを書いとけば・・・」と我が教室でも中々成績が上がらない生徒ほど、このセリフを口にします。「学校で習っていない問題が出た」と模試などで言いますが当然です。入試や模試は初見の応用問題が出ます。それを、学校の【まんま】を勉強だと思っている生徒や保護者。我々の指摘を「大袈裟なことを言って儲けたいと思っている悪者」「家の大切な〇〇ちゃんを悪く言う業者」として悪意の口コミが・・・。
一番困っているのが、大学受験を見据えた高校生がこのやり方と意識を継続していることです。
当然ですが、高校の授業は小・中学校と違って、全部は説明してくれません。説明している時間もありません。授業で聞いた知識を組み合わせ、問題で求めているゴールに辿り着く方法や道筋を自力で考える力を求めています。「聞いたから」「教えてもらったから」『次は大丈夫』『入試の時には大丈夫』なんてあり得ないのです。何度も何度も自力で繰り返し演習して、直ぐに思い付くまで繰り返し自学するしかないのです。何も考えなくても自転車に乗れるのと同じです。
なのに、「学校のテストでは〇〇点とれている」「進路は学校が何とかしてくれる」「あの進学校なので」とか、クラブが忙しくて時間が取れないと言い訳する生徒をフォローするように「青春の思い出にはクラブが不可欠。私(母親)もそうだった」とま〜〜た学校と塾の責任です。
残念ながら私たちの「違うよ」の忠告を無視して自分の考えを押し通す人(生徒or保護者)ほど、「えっ?」ほどの高いゴールを求められます。どうしてだと思いますか・・・・・・?
最近、私立の中・高校の先生ともお話しする機会が増えました。学力だけでは無く「理念や教育方針や校則にまでクレームをつけて、ゴールだけは絶対保証しろ」の方が増えているそうです。
「だって学校で・・・」と学校を絶対と言いながら、学校や塾の指示には従わないで責任を求める。
こんな方々は、何が【絶対(至上)】なんでしょうね。 私が思うに・・・・・・。