[2025年4月29日]
『生徒が得意で「できる事」は、大人も認めて、できるだけ協力してのばす方が良い。
逆に、苦手なことは無理やり強制せずに、目をつむってあげる優しさが欲しい』
この言葉は度々耳にします。
確かにその通りです。
得意な事を適当に中途半端で止めさせるより、もっともっと高いステージに挑戦させる意識を育ててあげる方が良いのはよ〜〜く分かります。
逆に、もともと苦手で出来ないことを無理して落ち込んでしまうのは良く無いです。
運動の苦手な子に、スポーツを強制し、できない事を苦に【思い詰めて】【自殺】まで追い込んでしまうのは最悪です。
では、ここで問題提起です。
何度注意しても英単語を覚えて来ないとか、文法の日本語の違い(〜〜ます と 〜〜ました)を意識して読まず、英語の成績がダダ下がりの生徒にも「苦手な事は強制せず・・・」は当てはまるのでしょうか?
他にも、分数の文字式と分数の方程式の解き方の違いや定義・用語を理解せずに数学の成績がダダ下がりになった生徒にも「苦手な事は強制せず・・・」は当てはまるのでしょうか?
間違ったやり方を信じて、注意しても絶対に変えずに意地を張り通して成績がダダ下がりの生徒にも「苦手な事は強制せず・・・」は当てはまるのでしょうか?
指導に従って本人も頑張って努力してもできないことはあります。そこを必要以上に攻め立ててやるのはダメです。
しかし、やり方や意識が間違っていて、本当は我慢してやれば出来るのに、その能力もあるのに、それらの原因を放置して「出来ないから・・・」と許してやることも【優しさ】なんでしょうか?
もし、生徒が頑張らなくて放っといて出来てないなら、そこをキチンと指摘してやることが【優しさ】じゃないでしょうか?
生徒を普段からしっかり観察してあげて、性格や行動も可能な限り確認したうえで【嫌われるのも覚悟の上で】話してあげることが【優しさ】じゃあないでしょうか?
何でもかんでも「許して」「受け入れて」「努力せずに楽に」できる目の前のことだけをやらせるのが本当の【優しさ】なんでしょうか?
「優しい」「叱らない」を売り文句にして、生徒をしっかり見つめもせず、目の前の問題の解法テクニックだけを教えて、目の前で〇が取れるだけの教え方の塾や先生が「優しい」とか「良い先生」って持て囃されることに繋がっているのではないでしょうか。
そんな指導を続けるから、間違えてるのに、自分を過信して『プライドだけが高くて素直じゃない生徒』が増えてしまっているのではないでしょうか?
何が原因だと思われますか?