[2025年5月20日]
この国では、約束(契約)を守らなかったり、ルールを破ったりすると「罰」を受けます。
大昔の欧州のような「鞭打ち」や「貼り付け」「暴れ馬による引廻し」なんて酷い仕打ちはありませんが、成人以降は何らかの「罰」が待っています。
ですが、未成年には相当凶悪な犯罪以外は「お咎め」はありません。
「未だ幼い」からとか「今後の改心が期待できる」とかの『少年法』の考えは理解できますが、だからって何でもかんでも【許してやれ】の風潮に疑問を感じています。
「家の子、未だ小さいから・・・」と言われる中3生の保護者。
「その内、分かって自分でやる気になるから・・・」と言われる高校生の保護者。
「家の子は頑張っているのに、先生の教え方が・・・」と言われる受験生の保護者。
宿題をやって来ない生徒について保護者に伝えると「子ども相手に大人げ無い」
絶対に約束を守らない生徒の実状をお伝えすると「家でも言ってるんですけどねぇ…」
「自分でやる気にならないと・・・」と保護者は放っとくことも。
「ご家庭でも強く注意して下さい」とお願いすると「家の教育方針と・・・」と叱られました。
「殴れ」とか「暴力容認」とか「食事を与えるな」とか「寝かすな」「追い出せ」「押し入れに閉じ込めろ」「柱に括り付けろ」「何も買い与えるな」って言ってるんじゃありません。
誰よりも子どもが可愛いのが親です。子どもを甘やかしてやれるのも親だけです。
しかし、子どもの将来を考えて厳しくしてやれるのも親だけなのです。
「体罰禁止」「子どもの意見を聞いてやれ」「子どももキチンと考えている」「大人の考えを押し付けるな」「子どもは親の所有物では無い」等々のご意見(綺麗事・甘言)は沢山、耳に入ってきます。言うのは自由ですし、否定するつもりは有りません。
しかし、その【きれい事】を【真に受けて】【信じて】【実行】されている保護者も居られます。
それで、上手くいってる(子どもの性格・成長に合っている)のなら良いのですが、家庭でも学校でも塾でも、問題行動をとっている生徒の保護者ほど前記の【きれい事(保護者の憧れなのかな)】を言われます。出来てる・叱ってる・やってる保護者ほど「私たちの何が問題なのでしょうか?」「私たちはこれで良いのでしょうか?」と相談に来られます。
話を最初に戻します。
子どもは「放っとけば良い」「何をしても怒られない」「何もしなくても許される」「親の指示を無視してもクラブには行かせてくれる」「指示に従わなくても欲しいものは買ってくれる(買って貰えるではありません)」「勉強なんか関係無く、携帯は直ぐ買ってくれる」と【何をしてもしなくても、絶対に自分に罰や痛みは来ない】と教えられて信じて生きてきました。
保護者は「周りの皆んな(どこで調査したの)が持ってるから、家の子だけ持ってなかったらイジメられる」とか「まぁ、今日び、普通だから」「勉強が全てでは無い」「人並みに」と自分を納得させて与え続けます。
当り前の【素直】【正直】【我慢】の練習をさせずに、中学・高校生になって「親の言うことを聞いてくれないんです」とか「学校の先生との相性が・・・」なんて・・・・・・・・当然でしょう!
少し、厳しく叱ると「親が厳し過ぎる」とか「私を分かってくれない」とか「むしゃくしゃした」「どうにでもなれと思った」と言い出します。当然の練習をさせずに、何でも放っといて、嘘ついても許される生活を送ってきたのです。そりゃあ、そうでしょう。
近年の十代後半から二十代の荒っぽい犯罪が多いのも、これらの「罰無し」環境から、突然「罰有り」世界に放り込まれて戸惑いと鬱積からくるのではないでしょうか?
まぁ、私ごときの意見なので、聞き流して下さい。失礼なことを言いました。ペコリ