[2025年5月28日]
朝日新聞の報道によれば、2025(令和7)年5月27日に以下のような判決が出ました。
【 朝日新聞社 によるストーリー
広島市立工業高校(広島市南区)の校長が「明日から学校に来させないでください」などと生徒の保護者に告げたのは、適正な手続きを経ない処分だったとして、元生徒の男性(19)が市に慰謝料約230万円を求めた訴訟の判決が27日、広島地裁であった。光岡弘志裁判長は学校側の対応について「適切な手順や対応を欠く」として、市に20万円の支払いを命じた。
判決によると、2021年に入学した生徒は授業中にタブレットゲームをしたり、教師に「死ね」と発言したりするなど、問題行動を繰り返した。翌年9月に校長が生徒の母親と面談。学校の指導の限界を感じ、「明日から学校に来させないでください」と伝えた。これを受け、生徒は転校した。
判決後、元生徒は「もう、通っていた高校にいけないと聞いたときは、本当にショックでした。そこから、私の生活は大きく変わってしまいました。私の高校生活を取り返すことはできませんが、これを機に、学校による不適切な対応が少なくなればいいと願っています」とのコメントを出した。
市教育委員会の担当者は取材に「主張が認められず残念だ。(問題行動がある)生徒との協議にも影響が出てくる」と述べた。 】
高校は「義務教育」ではありません。生徒本人が「社会性を習得し、学びを望む」ことを目的に就学するはずです。なのに、授業を聞きもせずゲームをし、教師に「死ね」などと発言をする。つまり、学校の授業の進行に悪影響を及ぼし、同じ教室で授業を受けていた他の生徒の【学ぶ権利】を邪魔しておいて、「高校に行けないと聞いてショックだった」とか「私の高校生活を取り返すことはできない」などと【傍若無人】で【わがままな甘え】な主張をするのはどうかと思います。ひょっとして、【親の見栄え】で『一応高校ぐらいは・・・』と進学を強制して・・・(あわわわわ、これは聞かなかったことに・・・)。
学校側も他の生徒の【幸福追求権】を守る責任があります。
学校は【しつけ】や【子育て】を行なう場ではありません。それらは、入学前に身に付けておくべきものです。「高校に入学すれば、学校が何とかしてくれるだろう」なんて、学校は「保育所」ではありません。生徒・保護者の身勝手な勘違いです。
学校側も一方的に退学を宣言したものではありません。保護者との面談をしています。続けたければ早急に行動を改めて学校の方針に従っていれば可能だったはずです。「方針には従わないが、自分の主張は聞いて欲しい」を赤ちゃんだと言っているのです。
その上「学ぶ権利」を剥奪された訳ではありません。転校出来ている訳ですから望む高校生活は行なえた訳です。
自らの行動の反省は無く、周りや大人への「不満」だけを主張する人が多過ぎませんか?
「子どものしたこと」とか「子ども相手に大人げない」との意見もありますが、幼児や児童のような「幼子」ではありません。中学・高校生は赤ちゃんではありません。
百歩譲って「未成年」だとしても、もう理解できる年齢です。「大人には何をしても許される」との風潮が蔓延しすぎです。何が原因でしょうか?誰がそうさせたのでしょうか?
私なりの意見はありますが、この場での発言は止めておきます。
「自由」「権利」「人それぞれ」をたくさん耳にしますが、「わがまま」「利己主義」の間違いじゃないかと思うこともあります。
だから「尊敬語」とか「敬う」との国語の話をすると「人間は平等だ」「人に上下は無い」なんて訳の分からない主張をする人がたくさん出てくることになるのかな?
また、そんな主張を認める(今回の判決のような)考えを【今風】とか【新式】と持て囃す風潮に疑問が・・・。
やっぱり「人間力が学力に!」の私の主張に、賛同者と批判者が大きく分かれるのはここからくるのかなと思います。