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早稲田育英ゼミナール
福山駅家教室

[2025年6月17日]

主体的に学ぶ・・・20250617

「主体的に学ぶ生徒を応援する」と文部科学省や教育委員会が盛大に掲げて数年経ちます。
そのために「小・中学校の宿題を少なくするように・・・」とか「自分が興味を持つことを深く探求するための時間を確保し易くしろ」と色々考えて、配慮をしていたように聞こえますが、実態はほとんどの生徒と保護者が理解しておらず、「宿題が少なくてラッキー」とか「学校から言われて無いから遣らなくても・・・」と逆効果になっていることが多いそうです。

全国学力テストの結果等から、福山市の学力低下は大きな問題になっていました。現場や市議会からも対応や修正の声が多く聞こえていました。
しかし、生徒や保護者からは「そんな事は無い」とか「家の子は普通」と現実味が感じられませんでした。

ところが、ここに来てやっと教育委員会にも認識の変化が見えてきました。
市議会の質問に対して、教育長が『「主体的に学ぶ・・・」は一旦ストップし、新たな方針を検討する』と答弁していました。
理由としては『「主体的に学ぶ・・・」を勘違いして間違った理解をしておられる方がとても多いから・・・』だそうです。
「主体的に」を「自由に」とか「任せる」と認識し、【放っとく】保護者が増えていて、それが原因で生徒の学力低下が起こっていると判断したかららしいです。

近年、こういった「誤解語」や「都合語」が増えています。
「自由」⇒「何をしてもしなくても勝手」「自分に責任は無く、全て周りのせい」
「人それぞれ」⇒「周りと同じ努力や我慢をしなくても同じ結果やご褒美を手にできる」
「周りが何と思おうとも自分の気持ちを優先させて実行する」等。

「学ぶ」とか「習う」の言葉を考えると、指導する立場と、指導して頂く立場があるはずです。
しかし、指導に従わないのに、結果だけを要求する風潮があります。
「家の子の成績が上がらないのは教え方が悪いからだ」「家の子の求めるように教えてくれさえすれば・・・」と間違っている部分の修正はせずに結果責任だけを言われた経験もあります。
「意識が違っていると成績が上がり難い。指導に従ってくれないと・・・」と言うと、「何ぁに、人間は平等でしょ。人に上下関係なんて無いでしょ」と言われた経験もあります。
知り合いの医院の先生にも聞いたことがあります。「今日の夕方からの飲み会に参加したいから、この熱と風邪を直ぐに治せ」と言われた。「無理でしょ。家でゆっくり寝てて下さい」って言ったら「ヤブ」と罵られた。と。

これらが「主体的に・・・」に当てはまると思われますか?
何んか、社会にある言葉を「自己都合に誤解」してきれい事を主張している人ほど「私(家の子)は主体的に学ぼうとしているのに、〇〇が・・・」と他人のせいにしているように感じるのは私だけでしょうか。