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早稲田育英ゼミナール
福山駅家教室

[2025年6月17日]

生徒が幼い20250617

「生徒が幼い」って言うとどのように感じられますか?
「赤ちゃんみたいな行動」「言葉が通じない」「中学生なのに、幼稚園児みたい」ですかね。

あながち間違っていないですね。

【歳相応】って言葉が「人それぞれ」とか「自由」の言葉のお蔭(?)で限りなく死語に追いやられていますが、私はこの【歳相応】の言葉が好きです。

幼児期には幼児らしく「自分に素直」で「にぎやか」で「遠慮しない」子が歳相応です。

小学低学年なら、少しだけ社会性と責任を認識しているはずです。
毎日の生活のルール。学校のルール。時間を考えて動く。自己責任でやるべきことはやる等。
掛け算九九や公式、四則演算、漢字等を自己責任で覚える。

小学高学年は「いっちょまえ」の手前です。生活のルールや家庭での立ち位置。勉強の自己責任くらいは分かっている筈です。「10歳なら殆んど大人と同じことができるはず」と言われます。
本当なら、ここで責任を取らせて責任を覚えさせるのが理想です。
ですが、親が「家の子はまだ小さいから・・・」とか「そんなに無理させなくても自然に・・・」とか自分に言い訳して必要以上に手を出し過ぎて「全〜〜ん部」尻拭きをしてやるから生徒が「何でも親がやってくれる」「言い付ければ親が文句を言いに行ってくれる」と教え込まれます。

中学生は大人ですか?子どもですか?
もし子どもなら、何故嘘をついてでも欲しい物を手に入れるのですか?金も無いのに「打ち上げ」や「卒業旅行」に当り前の顔していくのですか?化粧道具を揃えるのですか?何故、叱られても素直に従わないのですか?
もし大人なら、何故、自己責任で勉強したり、社会の他人(先生やボランティアの人)にあんな対応を?
これも「家の子、まだ小さいから・・・」「家の子、私が居ないと何にもできないから・・・」「家の子、口数が少なくて自分では言えないから・・・」と理不尽なことでも、我儘なことでも、何でも「自分を頼ってくれることを親が喜んでいる」ことを子どもは知っています。なのに、親が嬉しそうに出しゃばって『全部叶えてくれる』のです。
この頃に「責任は取らなくても、何でも親に『ねえねえ母さ〜ん』とゴロにゃんしていれば」叶えられることを学ぶのです。勉強なんて【面倒臭い】ことは程々にして、好きなクラブだけしていれば「まあ、頑張っているのだから・・・」と許して貰えることも知っています。
小学と中学では勉強への意識と量がちがいます。しかし「私は今までこれでやってきた。母さんも良い子って認めてくれてる。だから私は間違ってない」のプライドも作り上げられました。

問題はここからです。高校は今までとは別世界です。昔の学校のカリキュラムや内容量から考えると中学までが少なすぎるのです。しかし、大学受験は更に難化しています。つまり、高校は「大学受験予備校化」しているのです。昔の「青春の学園生活」をしていると受験には全く間に合いません。なのに「私は今まで・・・」とか「授業だけ聞いていれば…」とか「先生が何とかしてくれる」を生徒も保護者も信じていて、私たちの注意をまともに聞いてくれません。

昔の受験生は、塾なんか行かなくても自己責任で勉強してました。ところが今は、小さい時に【歳相応】の責任と、ごまかした時の痛みを教えて無いので、子ども達が【何でも大人が何とかしてくれる】【大人は子どもの世話をするのが責任】と信じている場面を多く見ます。

だからそのまま育った子供たちが【幼く】て、大学生や社会人になっても、信じられない位幼い事件が多発するのだと思います。