[2025年6月21日]
「できる子」に教えるのと「できない子」に教えるのとでは・・・
「勉強ができる」とか「勉強ができない」って言うと、「あの子は頭が良いからできる」とか「塾に行って沢山聞いてるからできる」と言われますが、生まれつき「頭が良い」とか殆んどありませんし、塾に行ってない子でも出来る子は居ますし、行ってても出来ない子もいます。
出来る子を見ていると、先生の話を「何が?」「何を?」「どうしろと?」と真剣に分かろうと聞いていますし、聞いたことは全部覚えておこうとしています。
もし、訂正や追加や改善の指摘をされたら即直しますし、とても反応が早いです。
一方出来ない子を見ていると「先生が分からせてくれる」とか「何かこんな感じ」「その内分かる」「その内できる」「先生は何回でも言ってくれる」「自分は遣っている」「自分は悪くない」と入り口の【聞く】の段階で正しい意識で聞いていません。
その後、ルールや用語も分かっていませんし、理解できていないので使えません。
覚えることも1〜2度読んだ(見た・眺めた)から「私は覚えた」って主張します。
理解のための時間、確実に覚えるための時間、使えるだけの演習量が足りていませんし、それらに取り組む意識も足りていません。
つまり「できる子」や「できたい子」に教えるのは、先生1人に対し生徒が何人居ても、生徒が「聞こう」「分かろう」と思って聞いているので教える方は楽なのです。
有名進学塾や、昔ながらの塾や昔の学校がその形で成り立っていたのはそのためです。
では、その授業形態の塾に「出来たい」と思って無い生徒を「あそこは有名だから・・・」「いつも優秀な学校に合格してるから・・・」「家の子も沢山教えてもらえば・・・」と入れて、簡単に成績が上昇すると思われますか?
先生も一方通行で流れる様に教える事には慣れています。聞いていない子への対応は苦手です。
結果は・・・・・・です。
「出来ない子」には勉強を教えるより前に、意識・行動・やり方・量の間違いを認識してもらって、それらが出来るようにならないと、いくら知識を入れてもスルスルと抜けてしまうのです。つまりこのタイプの生徒に教えるのは、まず何が足りていないのか何が間違っているのかを本人(時には保護者)に理解・自覚してもらうことがとても大変なのです。
しかし、保護者の中には「勉強なんて、『聞けば』『習えば』『教えて貰えば』『通っていれば』『何度も聞いてれば』すぐに出来るように成るはず」って言われる方も何故か想像以上に居られます。なので学校での事実や進学時の事実をゆっくりとお話しします。しかし「そんな事は無い。私(家の子)は出来ている。何で私(家の子)には関係無い事をいちいち注意するの?」と叱られる事が非常に多いです。
「言われた様にやってるもん」「すごく頑張ってるもん」って主張する生徒(保護者)も居ますが、今までの「間違った」やり方や量を基に主張するので、結果としてそれも間違いになってます。
時には腹を立てて退塾されることもあります。それを逆手に取って「優しい塾」を【売り】にして、生徒の状況や後の事より、目先の儲けを優先する塾が増えてきました。
また「できない生徒(保護者)」ほど『やさしい塾が良い』と飛び付いているのも事実です。
このように「できない子」に教えるのは、通常の授業の2〜3倍の手間が掛かります。
教える立場からすると、生徒の学びの意識が出来ている一斉授業の方がずっと楽なのです。
しかし泣きながらでも我慢して従ってくれた生徒。その結果、生徒の希望する進路に進んでくれた時には「あ〜、生徒も保護者も私達も苦労した甲斐があった。良かった良かった」です。
例外の笑い話をひとつ。「学校のテストでは、いつも高得点なんですが、模試では得点できない」って進学塾に通っても、やっぱり同じだと我が教室に来た生徒の話です。この生徒は「真面目ちゃん」です。学校の教科書・ノート等を完璧に覚える能力は高いのですが『それだけを勉強だと勘違い』してしまって、根拠や理由を理解していませんでした。それでは使えませんよね(笑)。