パソコン版を見る

早稲田育英ゼミナール
福山駅家教室

[2025年7月10日]

どうすれば良いのか、誰か教えてください20250710

余りにも問題が大きすぎて「私が何とか出来る」ことではないのは分かっているのですが、このままでは、教室での指導が難しくなることだけに留まらず、地域全体の学力よりも地域全体の人間力、延いては地域の安全をも脅かせかねないことになりはしないか心配です(そんな大袈裟な)

それは何かと言いますと「子ども達が何を注意しても何を指導しても『放っとく』」ことです。
本人が意図して分かって「放っとく」こともありますが、意図無く無意識に無自覚に「放っとく」ことが増えてきています。
悪意(?)からワザとごまかしているのならまだ良い(?)のです。本人に自覚が有るのですから・・・。将来困ることも覚悟してやってるはずですから。

近年増えていて困っているのが、意識や知識が【幼な過ぎ】て、注意されても指導されても「何を注意されてる」のか「何がダメなのか」が理解出来なくて、注意する方が疲れてしまうほど何度でも平気で『放っとく』生徒です。
「何故聞かないのか」と質問すると「聞いてる」と答えます。「どうしてやらないのか」と質問すると「やってるよ」と答えます。これらの【誤解語】の生徒や【やってるつもり】【できてるはず】の生徒は、本当に幼いだけなので疲れても疲れても何度でも言い続けるしかありません。
問題なのは『少し知恵が付いてズルくなった』生徒です。
彼らに何度か注意しても従ってくれない時、理由を確認したことがあります。
「これだけ何度も注意されても放っといて平気?」「何で放っとくの?何も感じない?」に対して「だって、今までこれで何とかなったもん」「だって、学校では何にも言われないもん」「だって、怒る人は母さんと塾だけだもん」「だってやらなくても、何にも罰は無いもん」「別に叩かれる訳じゃ無いし…」「宿題しなくてもチームの練習には送って行ってくれるもん」「成績が悪くてもクラブには行けるもん」「やらなくても欲しいものは買ってもらえるもん」「最後には先生と母さんが何とかしてくれるもん」が大半です。
人生の20%も生きていないのに、何故、今後の人生まで想像出来るのか不思議です。

更に近年増加中なのが、「私はチャンとやってるのに先生が怒る」「私は悪く無いのに先生が厳しい」「私の聞いた事だけ(式と答)で良いのに、先生は関係無い事ばかり(用語やルール)説明するから嫌だ」と帰って保護者に伝えると『えっ、そうなの?分かったわ、お母さんが言ってあげる』とか「私はキチンと勉強したいのに、先生は答えを言ってくれない。嫌だ、あの塾」って言うと『えっ?そうなの?どうする?○○ちゃんの望む様な塾に変わる?』『そんな塾やめる?』と、原因を確認もせず【子どもの間違った希望を100%叶えよう】と【迎合】される方が急増している事も事実です。
後の「生徒の実力向上」よりも今の「決して叱らない優しい塾」「機嫌よく生徒に通ってもらう塾」「機嫌よく保護者に月謝を払ってもらえる塾」を目指している【儲け主義塾】の思う壺です。

逆に「この生徒の◇◇が改善されないと成績上昇は難しいでしょうね。協力して改善していきましょう」と提案すると『失礼ね。私の子育てに問題が有るって言うの?もういいわ。今日で止めます』とか『私達も家で何度も注意してきました。それでも治らないのならもう無理です。この子の人生です。困ろうが浮浪者になろうが、思うようにすれば良いんです」と親がキレて投げ出してしまうことです。子育てなんて、我慢と落胆を繰り返す20年です。

もっと困るのが、世相や風潮や流行を真に受けて『きれい事』を心から信じておられる方です。
「私の教育方針は、子どもを信じてやって、子どもの思いを聞いてやり(ここまでは賛成です)決して怒鳴ったり叩いたり疑ったりしない心に優しい教育です」と申されます。生徒がいくら嘘ついても指示を無視しても、それを保護者に「お家で言って下さい」と伝えると「叱るのは私の方針と違います。家の〇〇ちゃんは、言えば分かってくれる子ですから・・・」と言われます。
だから、嘘も平気になってしまったのかな?と・・・。

ここまで色々説明すると【何が問題か】はお分かりですよね。誰か私達に方法を教えて下さい。