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早稲田育英ゼミナール
福山駅家教室

[2025年8月23日]

「習った」から出来る!大丈夫!20250823

成績不振の生徒や、受験前の短期間にチョコチョコっと聞いただけで何とかなると思っている生徒(保護者)が普通に平然と度々口にする言葉です。
「あっ、それ、もう習った」「あっ、それ、やったことがある」「あっ、そこ、嫌いだった」「あっ、それ何か、聞いたことがある」です。
そんな生徒は今まで「何か、よう分からんけど、先生が言ってるから、とりあえず書いて埋めておけば・・・」と行動してきた筈です。
当然「やったぁ、丸もらった。もう完璧」と【勉強した気】になっています。
勿論そのまま「終わったからもう必要ない。忘れてもよい」と忘却の彼方へ追いやった筈です。
それを『違うよ』と教えてあげるのが【大人】の仕事のはずです。
勿論、学校の先生は言い続けています。厳しくは言えないですけど。
但し近年では「自由」とか「人それぞれ」とか「生徒に合わせて」とか「生徒のペースで」とか『結果よりも、休まず機嫌よく通ってくれる』ことを保護者も教育委員会も求めており、内容の広がりや深さを求めると「訳分からな〜い」の生徒と保護者が不機嫌になるので、先生も仕方なくシンプルな基本問題だけにしているのが現状です。
それで「習った」「私(家の子)はチャンとしている」と主張されても……ねぇ。

習う(勉強する)・習った(勉強した)とは、言われたことは好き嫌いに関係無く、全て理解できて(何かこんな感じは、有り得ない)いることであり、理解できないのであれば、その場で質問や再説明を求めれば良いはずです。昔と違って「分からんのんかぁ、お前はバカじゃけぇ無理よぅ。もう知らん」と突き放す先生なんて居るはずがありません。なのに「恰好悪いから」とか「その内分かる」と楽して通り過ぎて辛抱しない生徒が多過ぎです。
勿論、「分かった」のならその一連の問題は、どんなに時間をあけても解けるはずなんですが、キチンと分かっていないうえに、覚えておく意識もないため、学校でその単元が終わると、綺麗〜にリセットです。
だから、高校受験時に初歩の初歩から入れ直しをする必要が起こるのです。
綺麗に消えていることを保護者にお伝えすると『そんな筈は無い。家の子学校のテストでは、いつも高得点だったのだから・・・』と叱られます。
いくら叱られても事実なので仕方ないのですけどね。

「習う・学ぶ・勉強する」とは、全て「積み上げ」「利用」でしかないのです。
小学校の小数の計算と分数の計算が残っていないため、中1の文字式で躓きます。
分数の計算ルールが残っていないので、中1の方程式で躓きます。
割合や比や%が残っていないので中1の文字式ができません。(例えばAgのB%は?)です。
小学校のグラフと中1の比例・反比例が残って無いので中2の一次関数はさっぱりです。
図形の定義や面積公式が残ってないので、中2の図形単元はボロボロです。
学校の基本中の基本になる問題が不安定なのに、受験の応用問題など解けるはずがありません。
小学校で学んだ「百葉箱」。中学校では登場しません。しかし、高校入試には何度か出ました。

高校も同様です。小学・中学で学んだことは、全て「分かって」「覚えておいて」「使える」前提で授業が進んでいきます。「聞いてたらその内に・・・」なんて絶対に無いのです。

「学校がこの状態なので、平均点取ってても実力は・・・」と話していたら、『そんな出来ない子の話はどうでもいいから、良く出来る家の子(平均80点くらいの生徒)の話をして下さい』って叱られたこともあります。80点の実力がどれ位なのかを説明しているのに・・・。

この様に、全てが繋がっています。スポットで単発の知識を欲しがる人が居られますが、基本が入っていないと使えないのです。
失礼ですが、保護者の中に「聞けば」「習えば」「教えて貰えば」勉強なんか直ぐに・・・なんて思われてる方は【まさか、まさか】居られないですよね。