[2026年4月4日]
私は「褒めて育てた」ので・・・
?私は子どもを「褒めて育てる方針」です。
?私は子どもの「意見を尊重する方針」です。
?私は色々強制しないで「自分で考えるまで待つ」方針です。
?私は細かいルールを決めずに「自主性を育てる」方針です。
?私は子どもの決心を尊重して「自分で動き出すまで待つ」方針です。
近年、多くの方や多くのコメンテーターや教育擁護評論家が口にされるセリフです。
もちろん、私も反対意見を言うつもりはありませんし、実現できれば、こんな「理想的な」子育てはないと思っています。ただし、タダシ、但し、『実現できれば…』の話です。これで、取り戻せない位「学力」も「人間力」も成長できなかったら、保護者の「私は最新式の子育てをしている最高の親」「私は子どもに寄り添った理想的な親」の自己満足を満たしただけで、育てられた子どもには【大迷惑】です。
今、流行りの【大ノット】人を作っただけです。
私の長年の経験から多くの生徒や保護者を見てきましたが「成功されているなぁ」と思う子育ては限りなく少数でした。
逆に「間違いだけどなぁ(表現が悪いですね。ごめんなさい)」と思う場合ほど、生徒も保護者も最高に胸を張って私たちに反論をぶつけてこられます。
そりゃそうでしょうね。その間違いを妄信されているのですから・・・。
少しだけ私の経験からお話しします。
?の「褒めて・・・」は、褒めてません。間違っていても「今はその場面では・・・」の時でもとにかく子どもに機嫌良くなって貰うように【煽てて】いるだけなのです。そりゃあ、何をしてもしなくても我が儘を通しても叱られないことを覚えますよね。
?〜?は、事前に「やるべきこと」や「正しいこと」や「間違い」を教えもせず、『一度言ったら分かるでしょ』とか『私の子なんだから分かってる筈』と思い込んで、『私は理想の子育てをしている』と誤解して放置している状態です。
これらは「英文法を教えずに英作文を書け」と言ってるようなものです。
生れてこのかた、何をしても褒められることしかしてこなかった人生です。間違った答えでも、自信を持って平気で書きます。「違うよ」と指導しても、「直す(治す?)」なんて発想はありません。
それで中学・高校になった頃生徒が苦手なことや面倒臭いことを「やらない」「変わらない」「分からない」となったら保護者が『もう知らん。私はあんなに大切に育てたのに・・・』『私はいつも言い続けてきたのに・・・』とキレて、余計下降のスパイラルに。
親にとっては「最高にかわいい」「最高に大切な」子どもです。だからこそ勘違いを指摘してさしあげると、「そんなことはない」「私は分かっている」「私はチャンと出来ている」と反論されます。
いくら立派な経歴をお持ちでも、立派な立場をお持ちでも、我が子の【親】としての経験は【初】ですよね。中学生の親になってまだ【たった十年少々】でしょ。
保護者が職場での20年前後の経験で自分に自信をもって行動し、周りや立場が弱い人に一方的な主張や要求をする場面。沢山見て(正確には経験して)きました。この経験を利用し、子どもが「ママぁ、私、あれ嫌〜。もう行かない〜」なんて甘えてゴロにゃん語を使おうもんなら「私に任せといて。私があなたの為に言って来てあげます」と更に?を推し進めている場面もありました。
こうしてお話しすればするほど「なぁに偉そうに」と立腹されて「優しい塾」を選ばれる方ほど当て嵌まるようです。「えっ?そうなんですか?誰も言ってくれないから・・・」と受け入れられる方の子は急激にグングンと変化します。
当然ですよね。十何年もその価値観で生活して定着した毎日の常識ですから。