[2015年6月26日]
標題の言葉は、志望校選定の時にお母様がよく使われる言葉です。
一見、最高の良い親に見えますが、そうではない事に使われる事が多いのです。
私が「〇〇高校に受かるには、後ひと踏ん張りですね。あそこに行って頑張っておけば、将来の進学でも専門学校でも可能性が広がりますね。但し、受験までは我がままを言わず、我慢して勉強ですね」と言うと、「いえ、先生。家の子どもの希望通りの志望校にしてやって下さい」とお母様。
「えっ?そこでは進学の可能性が随分狭まりますよ」と私。
「でも…。家の子。仲良しさんと毎日一緒に通学したいと言ってるんです。それに…、もう受験勉強も限界だって・・・」とお母様。
「じゃあ、将来の希望進路に幾らかの限界は・・・」と私。
「いえ、それはダメです。あの子は大学で△△の資格勉強をして、国家試験に合格して□□の仕事に就くのが夢なのです。私もそれを望んでいます」
「じゃあ、尚更〇〇高校へ・・・。その別の高校では、学年で1人か2人しか行けてませんし・・・」と私。
「いえ、大丈夫です。家の子ならやってくれる筈です。私は信じてます。子どもを信じてやるのが親の務めです」とお母様。
さて、如何でしょう?
絶対に可能性0%と言っているのではありません。
でも、「朱に交われば・・・」です。楽しく通学したいと言っている生徒が、朱の中でも白袴を維持できますかねぇ?
「子どもを信じて、子どもの希望を」と言葉は綺麗ですが、嫌なことを子どもに強制して嫌われることから逃げているようにしか見えない、そんな私は歪んでますか?
正しい判断ができないから「保護者」が居るのです。
聞いてもよいことと、強制することを区別しないと、「育児放棄」や「無責任」にしか感じられません。
やっぱり私は歪んでいるのかなぁ?