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早稲田育英ゼミナール
牛川教室

[2013年7月1日]

3か月の学習で、生徒は成績を上げました。

こんにちは。

これはテスト結果という分かりやすい実績に基づいてお話しします。

中3女子 数学(40点)→68点
     理科(40点)→75点

中3男子 国語(37点)→57点
     社会(75点)→80点

中2女子 英語(48点)→76点

中1男子 数学(初テスト)100点※当然科目順位は学年1位

他にも、下から数えたほうが早かった子が108位(総合学年順位)を持ってきました。
2ケタの順位まで射程距離に入りました。

やればできる、を実感しています。
生徒さんは自ら頑張って、成績を上げてきました!

さて、塾へお金を払ってきているわけですから、当然苦手科目を受講しているわけです。
上記の成果も苦手科目が上がったことを示しているものです。

他の塾でもいろんな方法で学習を行い、実践し、成果を上げておられる方もいらっしゃるとは思います。
ただ、伸び悩んでいるケースも多いと思います。

特に当教室は開業してまだ日が浅く、実際に教室らしく稼働し始めたのは今年の4月くらいからでした。

たった3ヶ月程度でこのような実績が表れたことは、非常にうれしい気持ちでいっぱいです。
よくがんばった!とほめてあげたい子ばかりです。

さて、ここで当教室では何をやっていたのか気になる方もいらっしゃると思います。
また、塾へ行くことに迷っている方もいらっしゃると思います。
そこで、今回は当教室で何をやったのかを公開します。
また、やりようによっては塾へ行く必要すらないかもしれません。
教室に来なくてもいい?稼ぐつもりはないのか?などというお声も聞こえてきそうですが、こんな話をするにも理由があります。

まず保護者の方に分かって頂きたいのは、なぜ今勉強する必要があるのかという理由をお子様へ生々しく理解させる必要があると思うのです。
学校の成績は、資格受験などと違い、合格証書や収入への直結等(例:資格手当等)がないために、頑張るモチベーションが長続きしない点に難しいところがあると思います。
ご褒美が遠すぎます。

一昔前の司法試験を想像してみてください。
平均で3年程度は学習し、司法試験に合格してからも司法修習生として活動し、いろいろ潜り抜けてようやく弁護士や検察官、裁判官などへの道が開けるわけです。
今ではロースクール等制度的にしくみはありますが、非常に困難な試験であることには変わりありません。
天秤の彫り物があるバッジにステータスを感じているのは、それだけ頑張った結果、彼らが法律専門家として磨き上げてきた結果を示しているからです。
そして、(最近ではそうでもないようですが)それ相応の収入と社会からの期待を手にすることができたわけです。
名誉と収入が手に入る。
これを3年〜5年で獲得するんだと頑張る気持ちは向上心の維持、そしてモチベーションの維持には欠かせない要素かと思います。

達成できた場合、人生が大きく変わるわけですからね。

ちなみに学校教育の場合は、小学校6年間+中学校3年間+高校3年間+大学4年間もしくは専門などで2〜3年間。

いったい、どれだけ勉強しつづけているのかと。
かなりの長距離マラソンだと思うのは僕だけですか?
途中で息が切れたり、転んでしまったり、アクシデントが発生する可能性もあります。それでもゴールはまだまだ遠い。

ではゴールの先に何があるのかを幼くて社会経験もない彼らに対して、社会人である我々大人はいつどのような形で、彼らの心に響くような形で伝えているのでしょうか。

きっと、漠然としたものでしょう。
だって、誰にも未来は分からないので、当然です。
せいぜい、転ばぬ先の杖といったところでしょう。

僕が塾長として行ったことは、彼ら彼女らを励ましたということです。要所要所で、励ました、ということです。
講師が勉強の面倒をみるのは、当たり前です。
要点は、どこの塾でも先生がいて、授業を行い、予習もしくは復習(補習)などを行っているのにもかかわらず、やる気のない生徒もたくさんいるということです。

それで成績が上がるなら、ドラえもんの秘密道具でも使ったんじゃないの?と思います。

生徒に代わって勉強してあげることはできません。
生徒に代わってテストを受けてくることもできません。
生徒自身が頑張って身に着ける必要があります。
先生が、塾長が、どれだけ頑張っても生徒が頑張らなければ意味はないのです。

長くなりましたが、僕が生徒に行なったこと。

それは励ましたということです。

言い換えれば、立ち位置が違ったのかと思います。

方法論だけでいえば、塾などに来なくても勉強効果を上げるにはなるべく薄い問題集を3周やっておけば、たいていは成績が上がるはずです。
やり方をお伝えすると、薄い問題集というのがミソなのです。
そして、同じ問題集を繰り返し行うことも要点です。
仮に、何冊も問題集をやったとして、成績が上がらない話はよく聞きます。
なぜなら、Aという問題集を一冊やったとしてもBという問題集で同じところを間違えているわけですから、何も解決していないのです。できる問題だけ数こなしたところで、成績が変わるわけがないでしょう。当たり前です。
それくらいなら、分かる問題ではなく、間違えた問題を一つ一つ撃破していくほうがいい。
まず、なるべく一気に一冊やり終えてください。
そのためにもなるべく薄いほうがいいのです。
1周目に解けた問題は、いつやっても解ける問題なので放置します。2週目では、間違えた問題のみ取り組むのです。当然、前回の答え合わせで解答解説を見ているわけですから、解けなければなりません。正しい思考ルートが解法として理解できているなら、2週目で解けるはずです。
当然、1周目よりも解く問題数は少ないはずですから、心理的なボリューム感に対する負荷は下がります。
3周目。案外、それでも人間忘れっぽいものですから、間違えたりします。これが、本来取り組むべき課題でしょう。答えを見ながらでもいいので、しっかり解く。そして解き方を理解する。プロセスをなぞる。自分で自分と脳内で語る。
「どうしてこうなった」「なんでここでこうするのだ」
それからもう一回トライしてみることです。
これだけやってから他の問題集へ挑戦するなら意味はあるかと思います。
いいですか、なるべく薄い問題集を一冊用意してください。
それを3回仕上げてください。
特に単元が積み重なった中3生には効果があると思います。

実際にこうやった僕が中3春の時点で内申点25の中学生だったのに、合格した高校の内申点は38の生徒も来るようなところだったのですから。
半年あれば、誰だってある程度まで行きます。

さて、ここでモチベーションの話に戻ります。

問題集3周、勉強量としては結構多いと思います。
それ以外にも、社会科の公民は中3から始めるものですから、他の科目がどうであれスタートは一緒です。暗記科目と割り切って、僕は公民の教科書一冊をノートへ書き写す作業を行いました。
案外、数学などで知恵熱を出した頭を冷ますには、こういう単なる作業が効果的でした。
その割に頭に入っていましたから、暗記はうんうんうなって覚えるものではないです。
また、意識的に文系科目と理系科目を分けて、だいたいですが時間を区切って交互に勉強しました。
気分転換を科目チェンジで乗り切ったのです。
18:00〜22:30まで塾へ行って、授業どころか居残って自習して、帰宅してからも24:00〜2:00まで自宅にて自習。
これを月〜土曜まで毎日半年間。
日曜は絶対になにもしませんでした。

話のポイントは、なんでこんなにやっていたのか、ということです。

僕自身、中学時代は転校生で人付き合いが苦手でした。
友達もなかなか作れず、いじめもありました。
当時は非常によくない校風で、さっさと卒業したかった。
ここで出来た友達とは、今のところ付き合いはありません。
僕は、高校で環境を変えたかったのです。
まともに話ができる人が多いのは、せめて中堅校以上にいかないとだめだと考えました。
中2の段階でやる気を失い、ひざも手術して体育も思うように参加できずに、さらに学校もサボりがちだった僕の成績はひどいものでした。
でも、このままの環境があと何年も続くのはたまらん!と思ったのです。
脱出しようと心底思ったのです。
ただし、いじめをやっているような卑怯な連中がのさばる学校から逃げては解決にならない。卑怯者に勝ちたかった。
幸い、近所の塾の先生は理解のある方で、遅れた分の取戻しも含めて徹底的に「励まして」くれました。
「学生の本分は、勉強だ。残念だが、それでモノサシとしているのが現状。偏差値とか内申点とかな。ただし、それで負けなければお前の未来にも良い影響はある。なぜなら、これからお前が行こうとしている高校にはこんな卑怯なことにかかわるようなアホは、いたとしても、限りなく少ない。ほとんどおらんだろう。そういう世界もあるし、そこへ自分が行けばいい。大丈夫だ、できる限り面倒みてやるから、心配しないで今すべきことを頑張れ。仮に万一ダメだった結果だったとしても諦めることはない。頑張った事実は必ずお前を助ける。高校の次は大学、その次はなんだと思う?」

これは当時の夏期講習会に参加したとき、休憩中に大学生のアルバイト講師の方が言ってくれた話の内容です。
お盆間近で土砂降りの日でした。
教室がある2階から下りる階段付近から駐輪場を見下ろしたとき、僕が乗ってきた自転車のサドルがあるべきところにありませんでした。
被害は妹に借りた自転車でした。僕の自転車のサドルはすでにありません。
それを見ながら、この学生講師の方はこんな話をしてくれました。

「・・・悲しいな。いいか、お前はこんなコソコソやる卑怯者に負けるな。僕はこういうことするやつが大嫌いだ。どうせ誰がやったのか見当はついているんだろ?じゃあ、そいつよりも上の高校へ行け。見下すではなく、こんなやつが来れないところまで、自らを高みへ引き上げろ。そしてお前は上へ上へ昇るんだ。数年すれば意味は分かるから、今は僕のいうことを、そして自分を信じるんだ」

僕は信じましたよ。

自分が頑張ることで、状況は変えられるはずだと解釈しました。

人を変えるより、自分を変えるほうが話は早いものです。
ビジネス書にも、よく書いてありますよね。
でも、何をやれば変わるのかは個々の事情によって違うのが大人の世界です。
それに比べて、なんと分かりやすい自分の変え方なのでしょうか!
なんて具体的で現実的な実現方法でしょうか!

落ち込むはずの状況の中学生は、俄然やる気に満ちてひたすら勉強しました。そう、ひたすら、すがるような思いで「それしかない」と確信に満ちた顔で、信念を持って勉強しました。

こんなやつに負けた未来はいらない。
こんな目に遭うために生まれてきたんじゃない。
腕力に自信はないし、むしろ殴り合いの喧嘩をするよりも分かりやすい勝ち方があるじゃないか。しかも衆人にもわかりやすい形で勝ちを示せる方法があるじゃないか。

「入試」だ!

絶対に僕は自力で変えるんだ。自力で突破する。侮るんじゃない、僕だって「やればできるはずだ」「やってなかったからできなかったのは当然なんだ」「いや、むしろいずれできるようになるのが当然だ」「なぜなら今僕は必死に取り組んでいるからだ」「僕はやっている」「やればできるのは当たり前だ」「他の子は解いているんだ、いずれ僕にも解けるようになるはずだ」「解けないのは何か理由があるはずだ」「この問題はやったことなかったからだ」「知らないことを理由にしないようにするにはどうしたらいいのか」「基本が大事だ」「原理原則を把握し、それから応用を数こなす」「今回解けなかったのは、そのうちのひとつにすぎない」「恐れることはない。いずれ解けるようになれる」「僕は天才でも秀才でもないが、脳の作りに大した違いはない」「今できることはなんだ」「何からやればいいのか」 「タイムテーブルが」「入試日から逆算しよう」「今回できなかった科目、単元は・・・」

少しずつ具体的に実現に近づいていく思考や行動になっていったのはご理解頂けると思います。あまりにも鮮烈な思い出なので、結構しっかり当時のことは記憶しています。
おそらく塾の役割は、迷いがちな生徒さんを大人として軌道修正して正しく指し示すこと。
現代はいろんなサービスがありますが、根本はかわらないのではないかと思います。