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尾崎塾
富田教室

[2016年10月27日]

おかしな判決

まず断っておくが,遺族の方の気持ちはわからないでもない。

ですが,指摘しておきたい。

あの状況で,現場=学校の責任を認めるのは全くおかしな判決だ。

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なんとなくマスコミ的には学校=行政側を悪者にして,一般市民の感情に寄りそうパターンで「良い判決」というムードだが,裁判官が何をどう理解していたのか,はなはだ疑問なのだ。

そもそも,裁判官という人間を信用できないのだが,いわゆるサイエンスに関する判決などできるはずがない。

本件では,裁判官が地震の規模マグニチュードとか津波の発生機構に関する知識がどれほどあったのか。
気象庁の警報発令のしくみについて,どれくらいわかっていたのか。
津波警戒区域の指定のしくみについて,理解していたのか。

繰り返すが遺族の気持ちはわからないでもない。
裏山に避難すれば助かったのに。

しかし,裁判官がその場にいて,じゃああなたならその状況で避難させることができたのですか?

あの日,地震の第一報のマグニチュードは7.9とかで,そんなに大きな津波がくるようなものではなかったのだ。

それがだんだん大きな津波だという情報に変わったのだが,それが防災無線みたいなものに的確に反映していたのだろうか。
おそらく,職員の中には携帯端末などで情報も得ていただろう。
コロコロと情報が変わっていく状況もあっただろう。
どの情報が正しいかよくわからない,ということがわかっていたのだ。

ここで,公的な学校という機関の判断基準としては,公的な情報以外のものは用いるべきではない。
そりゃそうだろう,不勉強なマスゴミの情報や無責任な一般の人のデマを元に生徒を移動させて,かえって事故にでも遭えばそれこそ責任問題だ。

そもそも,学校が津波の避難場所になっているという事実は,そういう非公共の情報よりも優先されてしかるべきだ。

判断が難しかったとすれば,津波が来ているという広報車の情報だ。
そこで,想定されているよりはるかに大きな津波だと現場教員が確信できるような言い方だったのかどうか。
松林をぬけて津波がきている,と聞いて,それだけで判断はつかないだろう。
ただちに,少々危険を伴う裏山へ児童を向かわせるのは難しいと思われる。
広報車も,不確かな情報を流してしまっているかもしれないし。


実際にその現場に行ってみた。
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そして,その時の状況で,自分ならどうしたかを考えてみた。
あの状況に,もしも自分がいたとしても,おそらく裏山へ直ちに児童を向かわせることができたかどうか。
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たぶん,自分もその時の現場の先生方と同じように津波に流されて死んでしまったのではないかと思うのだ。

かく言う私は,おそらく日本中でも,相当に地震や津波には詳しい方の人間だ。
その自分でも当日のあの現場で「正しい」判断ができなかった可能性が高い。
それを現場の過失ということにできるのだろうか。

裁判官のあなた,本当にあなたなら裏山へ逃げる指示をできたのですね?


亡くなった児童たちのことを,一番悔やんでいるのは,現場で一緒に流されて死んでしまった先生方であることは間違いないのだ。






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