[2016年12月1日]
日本の教育って,どうしてこうも時代遅れなのだろうか。
本来なら学校が時代の最先端を行くのが本当だろうが,実際は世の中で一番遅れている地域が学校の敷地内だったりする。
しかもそこは治外法権で,先生たちが勝手にルールを作って,それこそが正しいのだと教え込まれるのだから,素直な生徒ほど役に立たないステレオタイプな人間とあいなる。
デジタル教科書を容認、基本は紙…有識者会議
小中高校の教科書のデジタル化について検討してきた文部科学省の有識者会議は30日、現行の紙の教科書を基本としつつ、タブレット端末などに教科書のデータを取り込んだ「デジタル教科書」の併用を認める最終報告をまとめた。(読売)
今ごろデジタル教科書も「容認」って(笑)
たしかに,紙に自分で書いてとつおいつ考えさせるのは大切な教育だ。
しかし,ノートの代わりにタブレットを持って,デジタル化された教科書に生徒が主体的にアプローチすることで今までと次元が違う教育ができるという点を,どうして誰も理解できていないのだろうか。
教科書には文字以外に多くの動画や音声というものも載せられるわけで,それが多大な教育効果をもたらす。
どうやら,今回文科省が「容認」したのは,紙に書いてある文字面部分だけで,映像や音声については知らんぷりだ。
文科省は真面目に教育のことを考えているとは到底思えない。
そもそも,学校が門を閉じて鎖国状態になっているので,外から大きなを加えないと変わらない。
しかも,そんじょそこらの力ではダメ。
学校教員ほど頑固な人種はいないのだから。
文科省も外圧というよりは実は身内だからなー
「今まで,紙の教科書だったからいーじゃん!」
「紙を使ってこそ教科書だ。」
「機械が故障したら見れへんやんけ!」
「機械の使い方わかんねーし。」
最後の必殺技も持っている。
「私の授業は紙でやります。」
先生方は自分の授業のやり方は自由にできる権利を持っていると思ってらっしゃる。
誰にも文句言わせない。
かくして,デジタル教科書が普及するには数十年かかるこの国は,そのころには世界からかなり取り残されているにちがいない。
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