[2016年12月12日]
教師が教壇に立ち,生徒に説明する授業は何のためにあるかと言えば,わかりやすく説明するためということになる。
そこで,わかりやすくするために,様々な具体例を示すことが多い。
その例示が上手な先生は,教え方がうまいとなる。
ところが,学習内容が高度になってくると,生徒みんなが知っている例が乏しいか,あるいは全くない場合が生じる。
そうなると教師は教科書を読むだけで,こう決まっているからこうなのだと天下り的に教授してしまいがち。
そういうとき,それでも教え方が上手な先生は適切な比喩やアナロジー(類推)を用いて生徒の理解を助けるのだ。
(さっき出てきた天下り的というのも比喩である)
特に理科ではアナロジーをよく使って説明する。
「火山の噴火メカニズムはサイダーの栓を抜いたときに泡が吹き出すのと同じだ」とか,
「抵抗があると電流が流れにくいのは水流が狭い流路で流れにくいのと同じだ」みたいに,カンタンな内容は比喩で済ませられる。
ところが,高次な概念をイメージさせるのには,少々別の展開=類推を利用して理解させる戦略を使うのだ。
磁束密度の説明は,密度という言葉が単位体積あたりの量として用いられていないことから,人口密度の概念をアナロジーとして説明する。
さらに発展して,弦の単位長さあたりの質量を線密度というように,密度という言葉の概念をより高次なものとして認識させるように導くのである。
さて,そこで読解力の話だ。
そもそも,読解力は,読んだ内容を自分で理解・納得するという認知力だ。
教え方の上手な先生にうまく説明してもらってやっとわかるようでは,それは読解力が乏しいわけ。
したがって,読解力というのは自分で自分に上手に説明する能力に他ならないのである。
自分説明する力こそが読解力と言えるのだ。
今まで全く出会ったことのないような概念が書いてある。
「それってどういうこと?」
自分に問いかける。
「ああ,それは既知のあの考え方と構造が同じだから,きっとそういうことだね」
と納得していくことが読解という作業なのである。
小池風にまとめると,読解力とはメタファーやアナロジーを使ってセルフエクスプラネーションする力のことですね。
あっ,またカタカナ語使っちゃいました。
ごめんあそばせ。
こういうパロディーも読解力がないと面白くないわけで,塾生諸君はぜひブログを読んでホンモノの読解力をつけていただきたいと考えている。
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