[2017年6月30日]
そりゃ,高校生たるもの,高校の勉強をしっかりやるのが本分というものだ。
定期考査で欠点など取ろうものなら,おまえ何やってんだという話になる。
そんなことでは進級できないぞ。
高3なら卒業できないではないか。
とにかく,高校生は学校が一番大事。
定期考査でよい点数を取っていれば,学校で困ることはない。
と,このように考えるのは無理もない。
高校の教師たちは,例外なくそう言うから。
これは必然であって,100%の先生が何よりも定期考査が大切だと考えている。
なぜなら,高校の教師は,生徒に履修した科目の単位を与えるのが唯一の仕事だからだ。
それ以外に仕事はない。
文科省の定めた指導要領に沿った内容を試験して,OKなら単位を出す。
そのための免許が教員免許だ。
単位を出すのは,定期考査に平常の提出物などを加味することも認められているので,普段の宿題などをちゃんとやることも,何より大切なこととされる。
それをしないということは,すなわち高校の単位が必要ないということで,進級できないわけで,教師の側からすると,年度末にそんな生徒がいたら,追試などをしなくてはならず,めんどくさいことこの上ない。
そうならないように,最初に散々おどしておいて,定期考査で点数を取ってもらうようにする。
実は,単位を出すには,生徒の出席日数をカウントしなくてはいけない。
授業回数の3分の1以上欠席したらアウト。
そうならないように,学校を休むなんてもってのほかという話になる。
どの先生も,必ずそう言うふうになる。
そんな環境にいたら,定期考査こそがこの世で最も大切なことだと勘違いする高校生が何十万人も発生するのは不思議ではない。
阿武野高校の生徒が,三島高校の定期考査を受けたらどうなる?
まちがいなく多数の生徒が欠点者となる。
単位を取れる生徒の方が少ないだろう。
三島高校の生徒が,茨木高校の定期考査を受けたらどうなる?
多くの生徒が欠点を取りまくって留年となる。
ちょっと冷静に考えてみよう。
文科省の学習指導要領って,何種類もあるの?
阿武野高校の数学?の指導要領と茨木高校の数学?の指導要領は相当レベルが違うんではないか?
一方では,絶対値やサインコサインなど難しいことは省略してよいという指導要領で,もう一方では高1であってもいきなり入試問題レベルをこなさないと単位を出してはいけないと書いてあるのではないかな?
んなわけない!
おなじ大阪府立の公立高校で,すごく学力が高くて茨木高校の考査で30点取れる人と,阿武野高校のかなり手加減した内容の考査で40点ギリギリ取った人がいたとする。
前者は単位をもらえないの?
でも,後者は単位をもらえるわけだね。
学力がはるかに高い人が同じ数学?の単位をもらえず,学力が指導要領に載っている半分もできないのに単位をもらえる人もいる。
そんな恣意的なものがこの世で最も大切なものなの?
大学受験を考えている人。
しかも,関関同立とかそれ以上のレベルを考えている人。
その高卒資格のための勉強って,意味ありますか?
定期考査はギリギリ単位をもらえさえすれば,入試に何の支障もない。
そんな無意味な考査に時間を費やすヒマがあったら,入試に向けてしっかりとした土台をつくる時間を確保した方がよいにきまっている。
もちろん,考査内容をうまく利用してその機会に勉強するのは,入試を考えると悪い話ではない。
うまく利用すればよいのであって,それに追われるというのは発想がおかしい。
なのに,今日も考査前なので塾を休んだり,はたまた,塾をやめる人も出る始末。
この世で何が大切か,ちゃんと見る眼を持ちましょう。
高卒の資格がないと,大学は受けられません。
それはゲットしないと高校に行く意味がない。
しかし,欠点取っても補習,追試,課題でたいていはクリアできるので,即留年とかにはならない。
おどされてビクビクしすぎてはいけません。
最低限単位はゲットできますよ。
その上で,考査をいくら頑張っても,ちゃんと学力がつかないと大学には入れてもらえません。
そっちを作る方が重要なのです。
それは,たいていの学校では何もしてくれません。
繰り返しますが,学校の教師の仕事は文科省の指導要領に即して単位を出すだけ。
受験指導に対して1円も給料は出ていないのです。
アホな反論する人のことを一応書いておきますね。
「いや,俺は受験の指導もちゃんとやっている」とえらそうに言う先生が必ずいます。
はい,えらいですね。
それはその先生の良心がそうさせているのであって,もし受験指導をやらなくても,やっていない先生と同じ給料が支払われます。
ということは,その受験指導には給料は出ていないということですね。
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