[2017年7月12日]
昨日報道ステーションを見ていたら,シンクロの井村雅代さんが松岡修造と対談していた。
確かにそうだ!ということを言っていた。
「頑張りに種類がある」と気づいたそうだ。
8位入賞したいという頑張りとメダルを取る頑張りは異なるのだ。
8位でいいと思う子に,メダルを取る頑張りは絶対にできない。
8位で喜ぶレベルの子に,メダルを取るために必要なアドバイスをしても無駄。
そういうことだと思う。
これは,受験でも同じだ。
産近甲龍でいいと実は思っていて,一応関関同立をめざしてますと口では言ってる子に,関関同立に本当に合格する頑張りは決してできない。
関関同立に合格したら大喜びして満足するのだが,一応国公立めざしますという輩には,国公立に合格できるような頑張りはできないのだ。
そう。それはどの世界でも同じ話だ。
しかし,ウチの塾では,一応であっても国公立と宣言してしまったら最後,本気で国公立大に合格するならこの内容だというモノを提供する。
それで頑張らないのはそもそも「一応」がつくような目指し方しかしていないからだ。
逆に,本気で目指しているなら,ウチの塾で与える内容が最もそれに近づけるような内容である。
よそでそんなメニューを組んでくれるところなんてあるハズがない。
夏期講習を受ける諸君は,よほど覚悟して臨んでもらいたい。
そして,思っているほどは学力が伸びないことも体験しておくべき。
おそらく,本人が死ぬほど頑張っても,思っている伸びの10分の1くらいに留まるに決まっているのだ。
具体的には,偏差値45の人間が偏差値60のところを目指しているわけ。
偏差値15も夏の間に伸びるわけないのだ。
特に,国公立大を目指してやる場合,科目数が多いので,1科目あたりにせいぜい1分野程度,マシになるくらいの伸びしか示さない。
総合偏差値でせいぜい1とか2しか上がらない。
偏差値45の人が夏を越しても,偏差値が2しか上がらないとなれば愕然とするだろう。
しかし,それを9月,10月と最後までやっていくと,最終的には10近く上がるかもしれないのだ。
ちなみに,想定している偏差値45の人は死ぬ気で頑張っているのだろうが,それは本当に合格したい人の頑張りではないのだ。
9時間でも死にかけなのに,12時間勉強したとしよう。
そりゃ死ぬほど頑張ったと思うかもしれない。
しかし,たとえば私がその生徒の立場で,本当に合格したいと思って頑張れば17時間以上は必ずやるはず。
12時間なんて楽勝の勉強時間なのだ。
もちろん,時間だけでなく中身の濃い時間をすごすのは前提だ。
そういう意味で,本当に目指して頑張るなら,たいていの生徒の望む大学になど入れるに決まっている。
要するに,本人がどこに目標を置いているか,その頑張りの程度に応じて学力がつくと決まっているのだ。
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