[2018年2月4日]
先日,和歌山のすべての小学校でプログラミング教育を必修化するとの記事があった。
これは文科省が全国的にやろうとしていることを先取りしたというイメージだ。
世の中の人は,このプログラミング教育を好意的に受け止めているとの報道もある。
はたしてどうなのか。
結論から言うと,そんなの絵にかいた餅であって,できっこないのである。
理由はカンタンで,小学校の先生にそんな能力がないから。
現在でも中学校の技術家庭や高校の情報の授業で少しプログラミングに触れるようだが,それとて必要かどうか,役に立っているかどうか怪しいものなのだ。
だいたい,コンピュータのプログラムを少しやったことのある人ならわかると思うが,プログラミングなど誰でもできるのだ。
逆に言うと,ちょっと小学校,中学校,高校で習ったからといって誰もできないのだ。
意味わかりますか?
誰でもできるというのは,高校までの理科や数学が普通にできる程度の頭があれば,誰でもできるという意味。
誰もできないというのは,大学に入る程度に理科や数学ができない段階で,何もできないという意味。
感覚的には,高校の物理の問題をミスなく解くこととプログラムをミスなくつくるのは全く同じ作業だと思う。
これは私が変成岩の組成を調べるためにつくったプログラム。
古いBASICのプログラムだが,ちゃんと学術論文で使える程度には役に立った。
これって,いくらコンピュータの専門学校を出た学生でも絶対につくれないのだ。
だって,変成岩岩石学がわかっていないと何をつくっていいかわからないから。
逆に,大学で自分の研究を進める中で,自分の研究用にプログラムをつくれないと話にならない。
コンピュータを専門に学びますという看板があっても,実際にはプログラミングできない。
看板がなくても,ちゃんと高等教育を学んでいたら,プログラミングはできる。
で,小学校でプログラミングを学ぶと,システムエンジニアになるような頭のいい生徒が急増するのか?
その前に,ちゃんと小中高での理科と数学ができるように教育できているかどうか考えた方がよい。
それでなくても能力が低くて今でもアップアップしている小学校の先生が,さらに困ってしまうだけなのだ。
現状でもちゃんと理科や算数を教えられていないのに,英語とかプログラミングとかで,教材研究できない口実を与えるだけのような気がしますね。
ちなみに,英語教育の前にちゃんと国語教育した方がよいと思います。
英語やプログラミングを小学生からやらせたければ,そういう塾に行かせればいいのであって,国民全員を道ずれに学力が低下する方向に行かなくてもよいと思う次第。
昔,書いたことがあるが,大学の学部学科を選ぶ時も看板に騙されないようにしたい。
情報学科でプログラミングできるようにはならないのと同様,国際学科で国際的に活躍できるわけでもない。
自動車が好きな人は自動車専門の学科に行くのだろうか?
そんなところより,阪大とか名大とかの工学部に行った方がずっと役に立つ人材となってトヨタとかに就職できると思いますよ。
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