[2010年7月2日]
昨日の報道番組で,菅直人総理が出演していた。
前に,世の中の人を「かしこ」と「あほ」に分類する話を書いた。
菅総理は明らかに「かしこ」だ。
で,キャスターの人が際立って「あほ」に見えた。
キャスターも一応R大学出て,世間では「かしこ」と見られているのかもしれないが,菅さんとは会話にならない。
いや,キャスターというより,報道各局の昨日からのニュースが「あほ」丸出しなのだ。
べつに,私は政党のひいきや菅さんに思い入れがあるから書くのではない。念のため。
東工大理学部を出た「かしこ」の考えや発言が,「あほ」の記者に伝わっていないのが残念なのだ。
低所得者への消費税負担を軽くする方向で議論したいと言っているだけなのに,それが伝わらない。
ある遊説で200万とか300万円と言い,他の都市では300万とか400万円と言ったとか言わないとか。これをどう解釈したら各局が報道している「発言がぶれている」になるのか?
菅さんは,低所得者という「くくり」を考えているのであって,きっちりとした所得額はまあ200万とか400万とかどうなるかわからないですが,議論して決めるつもりなのである。それでよいではないか。ここで300万と言っておいたのに350万に変えたとかうそついたとか,上げ足取り的な報道しかできないのは「あほ」だ。
「かしこ」は誤差や有効数字が理解できている。
今回は300万円プラスマイナス100万円の誤差の範囲で検討しているだけである。「あほ」にはいくら言っても有効数字という概念が伝わらない。
昔,文部省が円周率を3にすると言って話題になった。
あの時,それを批判した人は全員が「あほ」だ。
有効数字を考えて,小学生には3でよいのではないかという議論にすぎないのに,とにかく文科省を批判する材料として「おかしい」と指摘されたのだ。でも全然おかしくない。
いつだって円周率は3より少し多いだけだから,概算するのには3で十分だ。その概算を教えるのが教育上何ら悪いことではない。むしろ概算できる能力こそ今の日本の教育に必要だと思う。それができない「あほ」を大量生産した結果,それなりの大学を出た人のほとんど全員(特に文系)に有効数字の概念がなく,マスコミに入社した多量の「あほ」が記事を書き,報道する。
世間はその報道を聞いて,あたかも総理が「ぶれている」とかの印象を持ってしまう。せっかくめずらしく「かしこ」が総理になったのに,その考えがマスコミによってつぶされていくのが気の毒だ。
昨日のキャスターは,何の予算を何円削減するという具体的数字を菅さんに言わそうとしたのだが,そんな数字を言わせても,あとでまた上げ足をとるだけだ。菅さんは表面的な数字を言っても意味がなく,内容が本質的に国民のためになるようにしたいと意向を述べた。それを聞いたらかしこいキャスターなら他に対応の仕方もあっただろう。あほなキャスターには「くどい」質問をするしか能がなかった。見ていて痛かった。
TV朝日も,もう少しマシなキャスター考えたほうがよい。久米さんはかしこかったから痛快だった。痛快と痛いはえらく違う。
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