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尾崎塾
富田教室

[2020年12月17日]

人数の問題ではない

一見すると全く良いことのように多くの人が思うのだが,実は本質からずれていることって,最も質が悪い。

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学級の人数を40人から35人に減らすことを,悪いことだと言う人は少ないだろう。

ところが,教室ってものは,人数が少なければ目が行き届くといったものではないのだ。

これ,実際に教室で児童・生徒を扱ったことがある人間とそうでない人間では議論のしようもない。

さらに,教室でうまく対処できない教員と,うまくできる教員でも全く逆の話になってしまう。


将棋にたとえるといい。

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プロの棋士は,盤上あるいは持ち駒がどうなっていて,それぞれが今どんな役割をしているかすべて把握している。

ところが,ボンクラなアマチュアは目の前の駒を取られるのに気が行ってしまって,肝心の王様がどのようにピンチになっているか把握できない。

この香車は危険だからと,いつも気を配っているのと,うっかり忘れてしまう人みたいな。

有能な教員は,クラスの子供たちが今どのようになっていて,それぞれの役割をすべて把握している。

あの子は「やりかねない」からと,いつも気を配っている。
(比喩の対象が香車だけに,「やり」かねない)

ところが,ボンクラダメ教員は目の前でトラブっているこどもに気が行ってしまい,他の子たちはほったらかし。

気を付けておくべきあの子が,やっぱり事件をしでかすことになる。

ボンクラ教員はこう言うのだ。
「クラスの人数が多くて皆を把握できません。」

じゃあ,駒を減らして詰将棋でもしましょうか。

将棋の駒が多すぎて気が配れない人も,これなら大丈夫だね。

あれれっ?

そういう人に限って,詰将棋は本当の将棋でないからつまらないとか言ってやらないのですよ。

やらせてみたら案の定,3手詰めかせいぜい5手詰めまではできるけど,7手詰めとなるともうお手上げ。

要するに,能力の問題なのだ。

無能教員は,子供の人数が少なくても対処できない。

有能な教員は,多くの子供たちがいても対処できる。
(ってか,むしろ多くの子がいるから教室という宇宙に無限の可能性,楽しみがあるとさえ考えている)


ただそれだけの話。

問題なのは,無能な教員が増えているということなのだ。

教員の能力を高める政策をするのが正しいのに,無能教員の「人数を減らしてください」というお願いを聞いてどうするの?

人数を減らすと増々事態が悪化することは明らか。

いままで280人のこどもがいたら,40人×7クラスだった。
それが今度は35人×8クラスとなる。

1クラス多くなる分,教員を補充しないといけない。

今まで,上位7人が担任をしていたのだが,その次の無能教員が8番目の担任となる。

その無能教員が担任をしなかったおかげで,クラスのトラブルが最小限で済んでいたのに,ダメな教員が担任すると,とたんにそのクラスで必ず問題が起こる。

たいてい,そのダメ教員だけでは対処しきれず,他の教員に解決してもらうことになり,結局他の教員の負担も増え,こどもたちにとって何の益も生まない。

そういう,トンデモな政策が学級の人数を減らす話なのだ。

35人学級でも問題が減らない。

30人学級にする。

それでも減らない。

25人に,

20人に,

・・・

5人とか?


かくして,5手詰めまでしか対応できない将棋愛好家たちが学校に大量発生し,教育崩壊が大団円を迎える。

めでたしめでたし。



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