[2021年12月28日]
では,科学的とはどういうことを指すのか。
これについては,科学者と呼ばれる人それぞれにいろいろな考えがあるようだ。
しかし,少なくとも,その公約数のなかには検証可能性というものが入っているように思う。
何か仮説があり,それを検証するために調査したり実験する。
そして,それを統計確率の手法を用いて何らかの結論へ導く。
ざっとこんな流れか。
ポパーは「反証可能性」が科学の肝だと論じた。
すべてがそれで語れるわけでないにしても,ほとんどの場合,似非科学かどうかを見分ける方法としては便利である。
たとえば,「教祖様がそう言ったから,この理論は正しい。」という信者がいたとする。
その信者に「教祖様も間違うことあるっしょ?」と言っても,一切聞く耳を持たない。
こういうのは反証を許さないという時点で,科学とは言えないのだ。
このウイルスさわぎでは,似非科学と言ってよいような反証を許さない話が最初から氾濫している。
これほど多くの人間が科学的な態度と真逆の言説に振り回されるとは思わなかった。
残念ながら,今までの教育の大きな敗北と言ってよいと思うのである。
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