[2010年8月30日]
僕が大学に入って最も驚き,感心したことを書く。
地質学野外実習でのこと。
友人が大学の先生に「この岩石は何ですか?」と聞いた。
僕はてっきり「これは○○岩だよ・・・」と答えが返ってくるものと思って傍で聞いていた。すると,
「さあ?何だろうね?わかんないな。」
と先生は答えた。世間で大先生と呼ばれる方なのだ。そのへんの石ころの名前を知らないはずないではないか。でも,先生は本当にわからないと思って答えられたのだ。
これは後で勉強してわかったのだが,岩石の名前なんてパッと見で判断しては絶対にいけないのだ。野外ですぐに「○○岩です」と即答するような人は信用できないのだ。ちゃんと岩石薄片にして偏光顕微鏡で鉱物鑑定する。さらにはEPMAで元素分析するなどしなくては岩石なんて決定できない。
これはすごく教訓になった。
われわれ凡人が先生になって,生徒に「これ何ですか?」と聞かれたら,先生の権威とか沽券に関わるとか考えてテキトーでも「○○岩だ!」と断定的に言ってしまいがちだ。そうした方が「さすが先生だ」と尊敬してもらえそうな気がする。
そうではないのだ。本当に勉強している人は,そんなに簡単にわからないということを知っている。それに加えて,沽券とかいう発想がない。だから「わからない」と自信を持って言えるのだ。
だからこの事件?は僕が教員になってからも大切な教訓としている。
自分が知らないことを知る。
わかっていないことを知る。
できないことを知る。
そういったことを知ることが勉強ができるようになる第一歩だろう。「つもり」や「ふり」が最もいけない。
知ってるつもり。知ったかぶり。
わかってるつもり。わかったふり。
できるつもり。できるふり。
いざ試験されると何も書けないということがある。
普段からの心がけが大切ということだ。
昔,ソクラテスという人がいて,自分より賢いと思ってた人が自分の知の足りないところを把握できていない点を見抜いた。そういう点でソクラテスは他の人より賢いと評価されるのだ。
無知の知ということを普段から気にしているのといないのではこれからの勉強の方向性も違ってくる。
一人だけ「ふり」する癖のある塾生がいる。
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