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尾崎塾
富田教室

[2025年1月18日]

当時のこと

神戸の震災から30年の節目ということで,30年前にどうだったか書いておきます。
長文になります。

ご存知かと思いますが,私はそのへんの一般の方々とはちがった思いをずーーーーーーっと持ち続けています。

「なんや,また偉そうに」と思われるでしょうが,実際,まったく違った感覚で震災を捉えています。

理由は,当時,こういう震災がいつ起こってもおかしくないとちゃんと理解していた数少ない人間だったから。

まさに神戸の大学で「活断層」を卒論のテーマにしていたので,神戸のどこに何という活断層が走っているかすべて把握していたのです。
そして,大学の先生が,理学部のキャンパスから六甲台を見上げて「この崖,活断層だからな」と言ったのを鮮明に覚えています。
かなり驚きました。
まさに目の前の住宅も建っている付近が活断層なのです。
何に驚いたかというと,それを説明した先生が「危機感」を持っていないと感じたからでした。
おそらくそこに住んでいる人は,この崖が活断層だと知らない。
そして,それがいつ動いてもおかしくないのです。
あかんやん!

結局,このとき抱いた心配が現実のものとなったのが1995年1月17日でした。

当時,高槻の自宅で寝ていたところ,大きく揺れました。
震度5でした。
ゆれながら,天井の電灯がこどもの上に落ちてこないかだけ凝視していました。
地震がいつ起こってもおかしくないので,寝室にはタンスなど,なにも置いてませんでした。
揺れがおさまっても,家の家具は一つも倒れていません。
近所や他の大阪各地の知人の家は,家具が倒れてたいへんだったようです。
私の家は,地震がいつ起こってもおかしくないので,家具をクギでとめてあっただけのこと。
また,高いところに瓶や重いものは置いてませんでした。

ゆれている最中に何を考えていたか。
「あっ,きたな,どこかな,中央構造線?花折断層?有馬高槻?ただ,高槻の近所だとこんな揺れではすまないな。あとは神戸の諏訪山あたりか?」

地震後すぐは停電し,テレビが見られませんでした。
1時間も経たずに通電してテレビが見られ,どうやら神戸のようです。
当時,学校教員だったので,
「今日は学校休みやな」と思いました。

学校へ行くのは自転車にしました。
自動車だと渋滞するのが目に見えてます。
途中,有馬高槻構造線の活断層の場所を見ながら学校へ行きました。
断層はビクとも動いてませんでした。

学校はもちろん休校となりましたが,理科教員だった自分は少々心配が・・・
理科の薬品がえらいことになっている?
薬品庫は,さすがに地震を想定してあります。
ただ,いくつかの薬品は瓶が割れたりこぼれたりしていました。
これが震度7ならどうなっていたことか。


テレビで,「神戸や大阪で大地震があると思っていなかった」という人が,非常に多いことを再確認しました。
学生のときに思った「あかんやん!」が鮮明に蘇ってきました。
神戸市をはじめ,行政は地震が起こりうることを知っていながら隠していたのです。
市民には安全快適な街だと思わせ,人が集まって繁栄することしか考えていませんでした。
また,活断層などの危険要素があると,地価が下がってよろしくない。
絶対にネガティブな災害リスクは行政としては市民に知らせなかったのです。
あかんやん!


さて,あれから30年が経ち,事態は改善したのでしょうか。
たしかに,神戸の震災を契機に耐震基準が見直されました。
自衛隊の派遣もすぐにできるようになりました。
医療も進んだでしょう。
ですが,昨年の能登の震災を見ても,まだほとんど改善されてないのではと思う場面もありますね。
30年も経っているのに。

マスゴミは依然として視聴率のことしか頭にない。
1月17日,そして今年は特に30年の節目なので視聴率が取れます。
神戸のような直下型地震は,いつどこで起こってもおかしくないという,当時の自分が持っていた感覚を大多数の国民が持っていれば,地震で亡くなる人を大幅に減らせるのに。
これ,防災教育をまじめにやれば,かんたんなことなのに。

テレビ,マスゴミは普段は「南海トラフ」が大好きです。
この言葉で視聴率が取れることがわかっているからです。

ちょうど,テレビがオワコンとなりつつあって,テレビがどんなにポンコツでも関係なくなっていきそうです。
ちゃんと国家として防災教育をやるような,そんな政党を支持する賢い国民が多数を占めれば,震災で亡くなる人がどんどん減っていくことでしょう。

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30年経った今,そのように考えています。



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