[2010年9月26日]
何事も類似点を見つけて考察するとわかりやすい。
たとえ話,類推,アナロジー いろいろな手法で使われる。
医師と教師の類似点をよく考えてしまうのだが,今回は検察。
証拠を書き換えたらだめでしょう。
先日の医師の見落としは,まあミスかもしれない。
書き換えは意図的でしかありえない。
しかし,教育現場では日常的に意図的な書き換えが行われている。
よくある例はいわゆる「下駄をはかす」というやつで,生徒の点数に一律20点加えて,全員が赤点をのがれたりする。
検察との類似点でいえば,転入学の日付なんかは,実は9月の15日に書類が出来上がっても,2学期の最初からの方がややこしくないので9月1日付に書き換えられたりしている。
推薦入試の推薦書なんてもっといいかげんなものだ。どんなに素行の悪い生徒でも素晴らしい人物に「書き換え」られた推薦書になって大学に提出される。
その他,入試に関してここでは書けないようなさまざまな書き換えが起こっている。でも誰も指摘しないし罰も受けない。
結構いいかげんなことをしているのだ。
しかし,一般の入学試験はかなり点数がシビアにつけられる。
本当に1点差で落ちるのだ。
誰も書き換えてくれないのだからしっかり実力をつけないといけないのだ。
検察の話にもどす。検察も警察も似たようなもので,犯人や犯行のストーリーをまず仮定する。そして,その仮定のもとに犯行が可能かどうか,証拠・アリバイなどを精査して可能性が0になればその仮定はボツになるわけだ。その手法は許されるとしても,可能性が0にならないように証拠の方を書き換えては全く意味がない。
本来は,証拠だけを積み上げて,そこから言えることを考えていくべきなのだ。はじめに話をつくってしまうから,どうしてもその話を成立させるための証拠をさがすことになる。すると,都合のよいものしか見えなくなって,ますますその話が確からしくなる。そこで,1つ都合の悪い証拠がでてくると,それは見なかったことにしたり改ざんされたりするのだ。
これはサイエンスの世界でもあることで,何か理論を思いついて,それに都合のよいデータばかり集めて論文を書くことが可能だ。
ところが,誰かが追試すると,その理論どおりでない不都合なデータが出てきたりする。科学論文もまず地道にデータをしっかり集めて,そこから何が言えるかを色眼鏡なしに見るようにしないといけない。
中学校の理科の教材を見ていると,何か都合のよい教材ばかり集めている気がしてくる。発達段階を考慮してのものもあるにせよ,本当のサイエンスを教育するには不都合だ。どうにかならないものか。
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