[2010年10月21日]
落合監督率いる中日が巨人に勝って日本シリーズに近づいた。
リーグ優勝の時の言葉が印象的だ。
「練習量の差です。」
落合監督は選手時代,練習嫌いで有名だった。
しかし,これは報道する記者がアホなだけで核心をついてはいない。
(私はよく「アホ」という言葉を使うが,「ステレオタイプ」と同義だと解釈して下さい。)
落合さんが言いたかったのは,意味のない全体練習みたいなのが嫌いなのであって,必要な練習はきっちりやっていたのだ。
落合さんの考える必要な練習量は並みの選手の普通の練習量の何倍もあったのだ。だから,練習量は歴代のプロ野球選手の中でも上位に入るはずだ。
あの長嶋茂雄さんは「天才」で,王貞治さんは「努力」の人というイメージだ。しかし,確か王さんも言っていたが,長嶋さんの練習量は半端なくすごかったらしい。
前にも書いたが,できる人は練習量が桁違いに多いのだ。
世間のアホな人は,そういった練習量を知らないものだから,単に天才だとかいう言葉をあてはめてしまう。
世の中の原理は簡単なのだ。練習もせずにできるようになる人間はいないのだ。
繰り返しになるが,勉強もスポーツも本質は同じである。
勉強ができる人はそれだけ練習しているのだ。
生まれつき頭のいい人間はいない。
落合さんや長嶋さん,王さんと比べるのはおこがましいが,私が中学や高校でやっていた勉強量は,必要最小限だと思っていた。
ところが,大学を出て,世の中の普通の中学生,高校生を観察していると,どうやら私が必要最小限だと思っていた量の10分の1もやっていない。
定期考査の1週間前には必要最小限の内容をもとに何を何時間勉強するか計画し,それを実行していた。
普段クラブをしていたので,試験前くらいは真面目にやろうと思っていた。
どれくらいの量か。
試験前の1週間から試験期間中を含めて,総勉強時間は毎回100時間を余裕で越していたはずだ。
これでも足りないと思っていた。
世間の中高生は試験前なのに普段と同じ生活をしているようだ。
だから,トータルで10時間も勉強したらすごくマシな方で,前日に1時間程度しか勉強しない生徒も結構いるのだ。
そりゃできるはずない。
でも世間の平均的中高生はそんなものだ。
先日も日曜日に定期考査前の特訓と称して5時間の特訓をしたが,それだけでも世間の平均より上をいくことになる。
しかし,私が中高生の時の試験前の日曜には最低でも12時間は勉強していた。
それで少ないと思っていた。14〜15時間はやろうと思えばできたはずだからである。MAXより2〜3時間少ない勉強しかしていなかったのだから。
友人「尾崎,いっぱい勉強したんちゃうか?」
尾崎「オレ,そんなにやってないで。」
友人「オレは今回めっちゃ勉強したで!」
試験の結果
尾崎98点 友人80点
友人曰く「やっぱ尾崎頭ええからなあ・・・」
これが繰り返されてきたのである。
尾崎の勉強量100時間
友人の勉強量20時間
個人の感想
尾崎98点・・・しくじった。1問ミスってしまった。反省・・・・
友人80点・・・まあ,よく勉強したからいい点取れた。親にも褒めてもらえた。満足!
これが繰り返されていたのだ。
意識の差,練習量の差
これが学力の差に直結している。
ただそれだけ。
世の中の原理は簡単なのである。
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