[2010年11月14日]
朝日新聞によると年収に対する教育費の負担割合が4割近くに上るとのこと。景気低迷で年収が減少するなか、収入が低い世帯でとくに教育費の負担が重いそうな。
記事の趣旨は何なのか?だからどうだというのだ。
教育負担を減らすように補助せよというのか?
大阪では私学と公立の高校授業料無償化ということもあり,その浮いたお金がどうなるか注目される。
おそらくお金が余ったからといって親の遊興費になるわけではなく,塾や予備校などに向けられ,結局教育費が減ることはないのだ。
教育にお金をかけられるのはある意味幸せなことだ。年収の4割を教育にかけても多すぎることはない。
公教育が現在のように腰の引けた状態なら,さらに学力を向上させたいと思う層は私教育に頼らざるをえない。幸い日本は私立学校も多くあり,塾や通信教育という私教育も発達しているので,お金さえあれば子供に十分な教育を与えてあげられる。
先日,高槻市の駅前で学生がカンボジアの教育に募金を集めていた。
何と,高校生の女の子が募金していたのでびっくりした。
他人の教育の心配する余裕があるのはすばらしいが,多くの場合,募金した=いいことをした気分 ということで,満足感みたいなものを得て自己をまぎらわせるにすぎない。だから私は募金というものをあまり好意的に見ていない。
実際,そのお金がどのように使われるかも不透明だし,そもそもどうしてカンボジアなのか皆目わからない。世界中にはカンボジア意外にもひどい教育環境の人はたくさんいるはずで,特にカンボジアに募金しなければならない理由がない。
カンボジアは日本に情報が伝わって来るだけまだましなのだ。カンボジアの識字率は65%とか。さらに勉強したくてもそんな場所もないし,能力の高い人もいない。
カンボジア以外にもっと劣悪な環境の国は山ほどあるだろう。
情報は伝わってこないがアフガニスタンとか。
募金を集めても怖くて届けに行けないとか。
日本はそういった外国と比べてとんでもなく幸せな環境なのだ。
にもかかわらず勉強をさぼっている生徒諸君。そんな連中が勉強についていけないとか言って落ちこぼれ,コンビニの前でたむろしている。高校や大学に進学せずに遊んでいる。日本はそれでもバイトして飯を食っていけるからいけないのだ。一度国外へ追放して外国で生活してもらえばよい。日本の恵まれた環境に感謝もせず,遊んでいたら非常に厳しい生活が待っているというようにできないものか。
日本だけでなく世界的に不安定な時代である。そんな中で生き抜くためにはかしこい頭脳が最も信頼できる武器になる。
どんな状況変化にも対応できるかしこい頭をつくるのは教育である。
学校の勉強が面白くないとか,こんなこと何の役にたつのか?とか,生活するのには消費税の計算ができたら十分だとかいうアホな考えは全く通用しない。学校の勉強を通じてかしこい頭脳を構築することが大切なのだ。脳細胞の回路を隅々まで連結させてマルチタスクな人間になるための訓練が必要なのである。
日本はお金さえ出せばいくらでも教育が受けられる。こんな幸せな環境を生かして教育にお金を負担する人が多いという好ましい状況が冒頭のニュースだ。決してネガティブな話ではなく,日本はこんなに幸せなのだという話なのだ。
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