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尾崎塾
富田教室

[2010年12月4日]

自転車に乗れる人は数学ができる

奈良文化財研究所によると,平城宮跡で08年に出土した大量の木簡の中から「九九」を記したものが見つかったとのこと。

「二九十八」や「四八卅二」などと書いてあるらしい。

そんなに昔からあったんだな。

「九九」のない外国の人はどうやって計算しているのだろう?


よく生徒にいろいろ質問をされて,「九九」を例に出して説明することがある。

生徒「この公式の導き方というか,意味がわかりません」

私「まあ,とりあえずわからなくても覚えなさい」

生徒「はあ,でもこの公式の使い方というか,意味がわかりません」

私「使い方を理解してから問題を解くのではなく,使っているうちに使い方がわかるのです。だから,問題を解いて,解答を見て使い方を覚えていきなさい」

生徒「・・・」

そこで「九九」の説明になる。

私「7かける8は?」

生徒「56」

私「どうしてわかった?」

生徒「?」

私「7×8ってどういう意味?」

生徒「???」

私「7が8つあったらいくつかっていう意味やな?」

生徒「・・・ああっ,そ,そうです。はい。」

私「いま,一瞬で7を8回たし算したの?」

生徒「いえ,ひちはごじゅうろく なので・・・」

私「そうでしょ。数学の公式ってそういうものなんだ。普段は意味は考えずに覚えていることを使うだけ。覚えていなければ時間がかかりすぎるので公式になっているんだ。「九九」を覚えるのに何百回も苦労して覚えたのと同じように苦労して覚える。するといつか役に立つ日がくる。そういうもの。」

ということ。

?覚える→?使えるようになる→?意味がわかる という流れだ。

これを逆にして勉強する人が非常に多い。

学校の授業は?からはじまって,みんなわからない。

?を少し説明して終わり。

できるはずがない。

「九九」を覚えささずに計算問題を解かせているようなものだ。

学校では小学校の「九九」以来?はやらないのだ。

なぜ,こんなにもすばらしい勉強法が小学校で終わってしまい,中学,高校では行われないのか。

理由はおそらく中学や高校の先生は数学の先生だから。

この点は重要だ。

数学の先生は「数学の面白さや理屈」を教えたがる。

でも,生徒に必要なのは問題を解く力。しかも,試験の時間内に。

学校の数学の先生は,「わからなくても解けるまで考えなさい。」と言う。こんなのに馬鹿正直につきあってはいけない。数学の先生は,そうやって楽しんで数学のゆるぎない学力をつけてきたのだ。かといって,それを生徒に強要してどうする?生徒は他にも英語や理科や社会,国語とやることがいっぱいある。数学だけにそんなに時間をかけられないのだ。それに,試験では速く解くことが要求される。速く解ける方法(公式のようなもの)を多く身に着けることが必要なのである。

私はさらにこんな例をよく話する。

私「君たち,自転車に乗れるね?どうして乗れるの?」

生徒「練習したから」

私「そう。勉強も同じ。はじめは乗れないし,不安だし,転倒してけがするかもしれないけど,乗れるようになったメリットは非常にあるね?苦労して身に着けることは役に立つ度合も大きいのだから,頑張って身に着けること。一度身に付くと一生モノやし。」

これは全く本質的な話だと思う。

自転車に乗る授業
「まず各部の名称を覚えます。これがハンドル。進行方向を変化させるのに用います。右に曲がる場合,曲がる角度に応じて右側に回転角を変えるとよい。また,そのとき重心を回転する右方向に移動させるとスムーズに曲がれます。これがサドル。これにまたがってペダルというものに足を乗せます。ペダルは180度異なる位置についていて,それを右足と左足で交互に踏んで駆動力を得ます。ペダルはギアを回転させます。ギアは後輪のギアとチェーンでつながっており,変速機能がついている自転車はギアの比を変化させることで1回転あたりの・・・・・ 」 もういいって?

そんなこと知らなくても子どもは自転車に乗れる。

自転車に乗れると行動範囲が格段に広がる。便利なのだ。

その便利さを得ることが目的である。

自転車の仕組みなんかだれも知らずに乗っている。

先の数学の先生は自転車の仕組みの面白さを説明して,肝心の乗るための練習は各自で勝手にどうぞという例。
乗るにはお父さんがはじめは手で持ってあげて,うまくコントロールしてあげるとすぐにできるようになる。
「手で持ってるから大丈夫だよ」と言いながら,実はすでに手を離しているなんてことをしてうまくやるわけだ。
そういうことを数学の授業でやってあげるとどんどん解ける問題が増えていくと思う。解けるようになった後で理解を深める授業をやればよいのだ。私のやる数学の授業はこんなイメージだ。

自転車に乗れるようになるがごとく数学ができるようになっていく。だから,自転車に乗れる人は数学の素質十分だ。

もう1つ自転車の例で重要な点は,誰でもできるようになるという点。よほど身体機能的に障害があるとかでない限り必ず自転車に乗れるように,数学だって練習すればできるようになる。

数学がわからないといって塾や予備校に行く人がいるだろう。
自転車に乗れないからといって,工学部の機械工学とか人間工学科に勉強しに行くようなものだ。
どんなすばらしい講義を聞いてもできるようにはならない。
「わかる」と「できる」は違うというのはそういうことだ。


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