[2010年12月6日]
福岡国際マラソン。
モロッコの選手が優勝した。
山の神は平地では普通の選手のようだ。
日本人の1位になった選手も2時間10分を切れない。
世界的にはどんどんレベルが上がっているのに,日本は瀬古さん・中山さんの頃からあまり変わってない気もする。
その当時はオープンにされていなかったのがペースメーカーという存在。今では大会で公認されたペースメーカーがいて,設定タイムも報道陣が知っていたりする。記録を出すには必要な存在なのだ。
ところが,今回の福岡ではペースメーカーが指示されたように走らなかった。途中で思いっきりスピードアップしてしまったのだ。後ろの選手がもっと速く走りたいと言ったとか?
本人は2時間5分で走る実力があるようで,それなら普通に参加してもいいのではないかとも思うが,おそらくお金の問題でペースメーカーの報酬が良かったのだろう。でも,今回は仕事をちゃんとしなかったから,報酬は減額だな。
さて,本題。
受験勉強はマラソンにたとえることができる。
なのでペースメーカーがいた方が,確実に良い成績を出せる。
昨日書いたように,公立学校の教師は受験という大切なペースを無視して,全く自分勝手な授業の進め方をする。
そこで,受験にはどんな学力が必要で,いつの時点でどのあたりまで到達しているのがよいかを知っている人にペースメーカーになってもらわないといけない。
塾の役割の一つはそういうところにもある。
集団指導の塾は,そういったカリキュラムで生徒を引っ張るので,それについていけば受験にちゃんと間に合うペースとなるのだ。
しかし,ついていけなければおしまい。さようなら。
個別指導の塾は,各自にあわせてゆっくり走ってあげる伴走者。
まあ,それで徐々に体力をつけていくと,やがて速く走れるようになる。しかし,間に合うかどうかは運まかせ。
で,ウチの塾はそのどちらでもない。
個別に演習させているので,個別塾のようにも見えるが,ゆっくり走らせておいて,徐々にペースをあげて,最後は尻をたたいて速く走らせる鬼コーチのような役割か?
受験は市民マラソンと違って競争だ。完走すればよいというものではない。やはりプロのコーチに指導してもらう方が勝てる可能性が高くなる。
ゆっくりすぎて間に合わないのは困るが,はじめから飛ばしすぎて息切れしてもダメだ。各自の呼吸の具合をそばで見ながらその都度ペースを変えていくという調整をしている。そのさじ加減が最大の売り物なのだが,なかなか見えにくい商品だ。
福岡のペースメーカーのように自分が速く走れるだけでは良いペースメーカーとはいえない。しかし,1キロを15分で走る設定でペースメーカーをするには,2時間5分で走るくらいの走力がないとできないのだ。
同様に,東大や京大を出ているからといって,良い教師になるとは限らない。しかし,○○大学や××大学にしか入れなかった人には受験指導はできないのである。
受験の成功者にはこうやれば合格するという方法論がある。成功しなかった者にはこうやって失敗したという失敗談がある。失敗する人は他の方法を思いついても,それも失敗することが多い。成功者の思いつきは,その方法でも成功することが多い。思考の方法が成否を決めるのだ。
受験とマラソンの違う点を1つ。
受験にはフライングがないのである。
1年も2年も前にスタートしても一向にかまわない。
なのにスタートを中3の秋とか高3の夏とかにするバカが多い。
私の中学時代。英語と理科は中2でほぼ完成。公立の問題なら9割は取れる状態。
高校時代。高2の冬に地学の共通一次で2問しか間違えなかった。
英語は語彙を増やせばよいだけの状態。
1科目でもいいから早目に完成させておくことをお勧めする。
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