[2011年1月20日]
月刊カメラマンの今月号
10年ぶりくらいに買った。
”未常識”の写真を撮るプロカメラマン岡本卓也が特集されている。
そいつは私の教え子で,私が勧誘したと記事にも書いてあった。
(ちょっと嬉しい)
たしかに個性的な写真を撮って,自分のモノを築きつつある。
今はめずらしい発想や手法かもしれないが,やがて常識になるかもしれない。非常識ではなく”未常識”な写真だという評価もうなずける。
私の書くのは塾ブログだけあって,しっかり勉強して大学で能力を高めて世に出て役に立つ人材になるための話が多い。
ここで勘違いされては本当に困るので念のために書いておこう。
世の中には変な絡み方をしてくる人がいるから。
すなわち,「受験勉強ばかりして人間的にバランスの悪い人間になってしまう」だの「一流大学出ても人間的に尊敬できない人いるじゃないか」だの言う人がいる。
これは全く的外れな話だ。勉強しなくてもいい理由というか言い訳をしているように聞こえる。
受験勉強というのは,勉強のほんの一部であって,勉強することは人間性を高めていく努力とイコールなのである。英語を学ぶことを通して人間というもの,文化というもの,人とのかかわり方というものを学んでいくのだ。物理だってそうだ。世の中の法則を根底から理解することを通じて世の中のしくみを理解し,人間の暮らしにどのように役立っていて,何が本質的に大切かを観る眼を養うのだ。
冒頭で紹介したプロカメラマンは大阪芸大に進学したのだが,進学校の理系クラスでちゃんと理科や数学の単位を撮って卒業したわけだ。しっかりと勉強をしたことが彼の人間性を損なうことはなかったし,むしろそれが彼の人間性を高めて発想の豊かさや作品の奥深さに関係しているのだろう。
根底にあるのは人間性。
”未常識”という言葉はすばらしい。
そんな作品を撮っていればそれは常に時代の最先端ということになる。
ちなみにウチの塾もそうでありたいし,実際そうなっていくと思う。
朝6時から指導するなんて”まだ”どこもやってないだけで,もっと流行するだろう。
個別指導でありながら静かに集中できる環境を提供する塾ももっと流行するはずだ。
世の中の人が求めていることをいち早く提供する。
それが世の役に立つということである。
これはどの業界でもあてはまることだ。
ウチの卒塾生にはいつも”未常識”の精神で活躍してもらいたい。
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