[2011年3月3日]
およそ学校というのは子供たちが世の中に出て活躍できるようにするところだと思うが,実態は困ったことになっている。
社会に出てパソコンが使えないと話にならない。
なのに,学校の教員でパソコンが使えない人が非常に多いのだ。
ひょっとすると世の中で最も遅れている業界が教育業界かもしれない。
いろんな学校で教育ソフトの研修会などをやっているが,ほとんどの教育ソフトは使い物にならない。授業はその場その場で生徒に対応していかねばならない。コンピューターのソフトはいくつかの典型例には対応するが,時事問題やその場の流れなどによる生徒の千差万別な発想力,展開力には到底ついていけない。そのような生徒たちに対応できるようにソフトの自由度を増やす方法がある。教員が自在にコントロールできるような機能をつけることだ。しかし,残念ながらここで破綻する。優秀な教員は自由度が高くても使いこなせるが,あほな教員は自由度が高いと何もできないのだ。マニュアルどおりにしか動かせない。いや,マニュアル通りに動かせたらマシな方で,おそらく8割程度の教員はそれすらできない。なぜなら,自分の教えたいように教えることしかやって来なかったからだ。つまり,マニュアル通りにやると自分のいつもやっている(20年も前から!)授業展開と変わってくる。なので,そのようにできないソフトは使えないということになる。そこで自分のやりたいように自由度を増したソフトを与えても,ソフトを使いこなすスキルを磨いていないし,今から磨くのはめんどうなので,すなわち今まで通り(20年前からね!)の指導をし続けることになる。
<<この20年前からというのは誇張ではありません!>>
教育現場で本当に使える優秀なソフトはまだ開発されていない。
完璧でなくても,まずまず使ってもいいかなと思えるレベルのソフトですら見たことがない。理由の1つは今書いたように,教員のレベルが低すぎるので,それに合わせるとどうしても自由度の低い=使い物にならないソフトになる。教材を作る会社は,たくさん売れないといけないので,多くの教員が使えるようにと考える。多くの教員はパソコンのスキルが低いので,構造的に良いソフトが作れない仕組みになっているのだ。
もう1つの理由。ソフトを作る人は教員ではない。まともに授業のできる教員は学校にいるのだから。元教員とかでもたいしたことない。やはり,それなりに多くの人間が使うことになるのであるから,現場で最も優秀なレベルの教員が設計・監修して作るべきだろう。しかし,そのようなレベルのソフトを作るとコストが莫大になる。それほど,優秀な人が生徒を掌握して展開していく授業というのはノウハウが莫大なものなのだ。コンピューターに簡単に真似できるモノではない。
学校としては,生徒の成績管理や出欠管理はパソコンで楽々できる・・・はず。
ところが,依然としてそのようなシステムは構築されていない。
毎時間の出席状況や成績推移などはイントラネットで全教員が閲覧できるシステムが必要だ。なのに,そんな学校はほとんどない。全くアナログなのである。生徒の平均点を電卓で計算している人がいる。パソコンに入力すれば一発なのに。
私が学校の教員になった頃は,まだパソコンを持っている先生も少なかった。なので,表計算ソフトで成績処理していたのは私くらいだった。
未だに出欠管理をパソコンでやっている話は聞かない。
ある私立学校。一応導入はしたものの,入力を怠る教員もいるし,通知表にリンクして印字できないので,通知表用に再度入力するという全くめんどうなことになっていたりした。
コンピューターの便利さと限界を知り,使いこなせる人間をつくるべき学校の教員は全く機械音痴の集団。学校が不要になっていく材料が日々増大していることに気づくべきだろう。
なお,塾も同様。最近高槻にパソコンを使う塾が進出してきたようだ。まあ,お金に余裕のある方は試されたらいいと思うが・・・他の塾は良く知らないので,ぜひ試されてからウチの塾に来てお話を聞かせて欲しい。
誤解のないように。パソコンを使った教育を否定しているのではない。むしろ逆で,もっと良いソフトがあればどんどん導入したいと考えている。現状は,自分でパソコンを使って生徒に教材を作るという程度にしか使っていないが。本当に良いソフトができたら,学校も塾もどんどん導入していけばいいと思う。
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