[2011年7月2日]
何が言いたいかというと,おじいちゃんに節電を強いるなということだ。
いや,誰も強いてはいないと言うかもしれないが,結果的に自分は我慢してでも皆のためにと考えるいい人が損をするようなことになっている。
その意味では,大口電気需要者に15%節電を強いるのはまだ理にかなっている。
ただし,それなら一般家庭は今まで通りに電気を使用できるようにすべきだろう。
もしも本当に供給可能量を越えそうになったら,計画停電などせずに大口のところだけ停電させればよいだけの話だ。
昨日書いた小説?のように,最後にスイッチを入れた1kWで停電しないようにできるはずだ。1000kW単位で使用しているところを止めるのが最も理にかなっている。
パレートの法則ではないが,大口のところのやりくりで全体をコントロールできるはずなのだ。他の大部分には影響しないような政策を考えるのが政治の役割だろうと思う。
どうも役所的な考え方だと一律に物事を処理したがる。
どの家庭も,どの企業も一律で節電とか。
義援金も一律何万円とかばらまいている。
この一律というのは一見平等のようで,こんなに不平等なものはない。
一件ごとに状況は異なるのだから,一律にすればするほど不平等になるのだ。
勉強の話になるが,きっちり勉強をまじめにしてきた人と,怠けて勉強しなかった人に将来の人生に差が出て当然だと思う。
なまけていて,今になって仕事がないとか言う人間に手厚い保護は必要ないと思う。そんなことしたら,怠けていても人生大丈夫となるから,ますます怠け者をつくることになる。
震災でも,今まで真面目にやってきて,それが認められて100万円の収入があった人が義援金10万円もらうのと,怠けていたから収入が1万円しかなかった人が10万円もらうのは不平等だと思うのだ。
さて,節電の話。
ウチの塾ではエアコン節電はしない方針。
快適な学習環境を保つために,演習中の室温管理は微妙に気を使っている。
暑がりの生徒と寒がりの生徒がいるので全員が快適とはいえないが,ここは最大多数の最大幸福的な温度を「勘」にたよって設定している。
節電のために高めの温度設定をしたりはしない。
あくまで快適さ重視。
いろいろと節電や節約するのは悪いとは思わないが,こと教育に限っては節約することが「もったいない」のだ。
たとえばノートや計算用紙はふんだんに使う方が学力が伸びるとすれば,どんどん新しいものを使うべき。
参考書や問題集もたくさんある方がよい。
1冊の中に1つでも役に立つことが書いてあれば大もうけだ。
定番の参考書や問題集は一通りそろえるくらいでよい。
使わなかったらもったいないのではなく,学力がつかないことが損失なのである。
エアコンも,受験生にくらいは快適な温度設定で使わせてあげよう。
将来を担う若者が頑張っているのだ。
そんなところをケチって,優秀な頭脳を作る作業が少しでも停滞したらそれこそ社会全体の損失なのである。
逆に,ゲームばかりして怠けている若者の部屋のエアコンはそれこそ電気の無駄。おなじ若者でも勉強している者とは待遇に差をつける。
こういう方が平等な社会につながるのではないか。
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