[2011年8月8日]
看過できないので書く。
津波で倒れた岩手県陸前高田市の松で作った薪(まき)を「京都五山送り火」で燃やす計画が中止になったこと。
大文字保存会か何かの連中。
全員TVに出すなどして糾弾すべし。
これは犯罪なのだ。
先日のTVのセシウムさん事件とは全く別次元のことであり,今回の方がはるかに重大な犯罪だ。
すごい苦情などが殺到しているらしいが,もっと大きな問題にして,決してうやむやにしないようにしたいものだ。
絶対に,絶対にしてはならないことをやっているのがわからないのだろうか。
要するに「差別の本質」がそのまま実行されているのだ。
根拠のない,実際に全く根拠のないことを理由に特定のことを忌み嫌うことが差別そのものなのだ。
科学的に全く問題ないことをそのまま受け入れられない学識の低さも差別につながっている。
ここに教育の入り込む余地があり,それのために我々は日々教育をしていると言っても過言ではない。
正しいことを正しいと見て正しく行動する。
誤っていることに気づき,誤りを正していく。
そういう人間をつくっていくのが教育だろう。
毎日我々がやっていることを踏みにじる行為でもあり,人間として決して許してはならない行為である。
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