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尾崎塾
富田教室

[2011年8月30日]

後期がはじまった

今日から予備校の後期授業も始まり福岡に出講。

福岡校では同じ時間帯に数学の米村明芳先生がおられて,何かと勉強になるという話は前にも書いたが,今日はよく米村先生に質問に来る生徒とあーでもないこーでもないと解き方の検討をされていた。

その生徒,すーっごく米村先生を慕っているのがよくわかる。
もちろん数学の出来は大変良いらしく,医学部を志望しているそうだ。

かなり長時間相手をしていたのでめんどくさくならないのだろうかと心配になったが,最後まで丁寧に対応されていて流石であった。

隣に座っていた英語講師が「admirer!」とつぶやいていた。

あれくらい慕われたら講師としては嬉しいものだろう。
残念ながら私をそんなに崇拝してくれる生徒はまだ出現しない・・・

で,こうもつぶやいた。
「数学もういいから英語やった方がいいのに・・・」

確かに。数学の偏差値はもう上がらない領域に達しているようだった。

そう,結局トータルの得点力で合否が決まる。
得意科目がすでに90点以上取れるなら,いくら勉強しても10点以上は上がらない。
他の科目で50点を70点に伸ばすことを考えるのが合格への道というものなのだ。

とか言いながら,私自身は少々矛盾した受験科目選択をしたことがある。
共通一次試験というのがあった。
今のセンター試験の前身だ。
当時は文系理系を問わず,全員が5教科7科目のしばり。
理系だったが社会が2科目必要だった。
自分としては社会科の中では地理がダントツで得意。
高校の最初の試験では1位であったし,地学との関連も深い。
だが,敢えて受験科目としては地理を使わず日本史と倫社にした。
日本人なら日本史をしっかり勉強しておくべきとの考えからだ。
受験で使うのだからちゃんと勉強せざるをえない。
そういうように自分を強制するのも必要なのだ。
日本史も不得意ではなかった。
最初の定期考査ではクラス2位であった。
しかし,まあ覚えることは多い。3年生終盤は他の科目の追い込みもしなくてはならず,日本史は本番で70点しか取れなかった。
日本史の5分の1くらいしか勉強しなかった倫社は89点であった。
科目によって難易に天と地ほどの差があることを身をもって体験できた。

センター地学の講義でもこう言っておいた。
後期はとにかくペース配分をしっかり考えること。
地学等の暗記は最終段階でいいが,それまでに「知識さえあれば大丈夫」という頭脳をつくっておくことが大切なのだ。


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