[2011年10月6日]
学校の教員やシステムを批判的に書くことも多いが,それはより良い教育サービスを提供することが世の中を良くすることに直結すると思うからである。
やはり教育の根幹は学校教育にあると思うからこそである。
塾の役割は本来は学校教育で足らないところを補うサポート役だと思っている。
学校教育に塾が取って代わるようなことがあってはいけないのだとも思っている。
塾の集客のために,学校の悪いところを喧伝する場合があるかと思うが,そういう集客をして集まった子たちは学校での伸びが期待できなくなる。
ここが最も大切だし恐ろしいところ。
つまり,学校がダメだから塾へという志向で親や子どもが塾に行くとなると,学校への不信感がどんどん増していく。
そもそも教育というのは先生に対する尊敬がないと成り立たない。
先生を信頼するからそれを吸収しようとしてこどもは伸びるのだ。
私の主張は,こどもに尊敬されるような教員ばかりではないので,そういう方を減らすようにすべきだというだけ。
だから,親が先生に対して不信を抱くことはすなわちその根底をゆるがすことである。必ずその不信感はこどもにも伝わる。
信頼のないところに教育はないのだ。
親御さんの気持ちはよくわかる。
自分の子に対してどうしてこうしてもらえないのか。
疑問に思う。
疑問がやがて不信感に変化する。
そうなってはいけない。
どうすればよいのか。
疑問や不安に思ったら学校の先生に問い合わせるのだ。
誠意をもって話をすればお互いに子どもを良くしようという点では一致しているのだから,きっと理解できる。
学校や教員はこどもを良くしようと思っていないのではないかという心配は不要だと思う。そこは信用して話合いをすべきなのだ。
恐いのは塾の方だ。
基本的に塾は営利主義である。
こどもを良くしようという前に,利潤追求だ。
学力を上げることが子どものためになるからやっているのではなく,合格させることにお金を払う親が多いから合格させようとしているのだ。
てっとり早く点数を取らせることでそれに対して月謝をいただくというしくみ。
別にそれは利害が一致していればいいとは思う。
ウチの塾はどっちかというと学校寄りだと思う。
学校で教わってきたことを演習させて定着させるのだから,学校でちゃんとやってもらってはじめて成り立つ。
合格を売っているのでもない。
必ず合格させるなんて絶対に言わない。
勉強するのに絶好の環境を提供するのは必ず実現していると思う。
それを売っている。
ここで一番伸びるのは,私をとても信頼して入塾させた親御さんのお子さんだ。親御さんが私を信頼してくださればそれが子どもにも伝わるので必ず伸びる。吸収力が違ってくる。
どこでもいいから安い塾に入れておこうという発想ならおそらくほとんど伸びない。時間をつぶしに来るだけになる。
こちらも信頼に応えようと頑張るのであるから,信頼感というのがウチの塾の教育で最も大切なものだと考えている。
にほんブログ村