[2011年11月22日]
いつまで経っても原発の問題は収束しそうにないが,今回の原発事故が世の中に貢献できたことがある。
国民みんながシーベルトという単位を知ったこと。
ミリシーベルトとシーベルトは1000倍も違うことを知ったこと。
ベクレルとシーベルトが何となく違うものだと知ったこと。
理科で今一つ伸びない生徒は例外なく単位に無頓着だ。
上述のように1000倍も違うものを平気で計算してしまう。
理科の基本単位:長さはキロメートルとメートル,質量はキログラムとグラム,時間だと秒,分,時間,日,年などを換算しないといけない。
化学でモルと個数の換算ができないのも致命的だ。
理科に限らず,経済でも円とドルの換算ができないと話にならないだろう。
なのに,単位に無頓着なのだ。
これでは正しく物事を認識できるはずがない。
キロが1000,ミリが1000分の1だという認識すらない生徒がかなり多い。
ヘクトが100であることはよほどのマニアでないと知らないようだ。
一方で震度とマグニチュードが何となく違うことは日本の理科教育の賜物で,国民に浸透している。
だから,シーベルトが震度でベクレルがマグニチュードみたいなものだというと何となく理解できる。
で,大学入試を理科で受験しようとする高3生に,「質量」と「重さ」の違いを聞いてみると,ほとんど答えられない。
というか,区別すらしていなかったりする。
そもそも単位の違う両者を混同するなんてあり得ないのだが,どういうわけか頭の中では同一のものに変換されている。
単位を間違う人は例外なく単位に無頓着だ。
単位に無頓着な人とそうでない人を並べて,どちらに入学して欲しいかを大学教授に聞いてみよう。
例外なく単位に無頓着でない人に軍配が上がる。
例外がないというのは言い過ぎ?
そうでもないと思う。
理科は単位が気になって気になって仕方がないくらいの人にとっては非常に簡単なもの。
無頓着な人にとっては難解なもの。
おそらくそこに決定的な差があるのだと思う。
あっちの生徒をどうやってこっちに来させるか。
無頓着なものに頓着せよというのだから超難しい。
そこに理科教育の最大の難しさがあるのかもしれない。
にほんブログ村
にほんブログ村