[2012年4月12日]
数日前から喉の調子が悪い。
浅田飴やらヴィックスドロップやら何ちゃらのど飴の類を大量に消費している。
塾講師にとって,一般的には喉は商売道具だ。
しゃべらないと話にならないから。
今日は英語の授業で確かにしゃべりはしたが,普段ウチの塾ではそんなにしゃべったりはしない。
だから商売道具というほどのものではないが早く治したい。
本来,商売道具というのはもっと具体的な「物品」だろう。
小説家ならペン,板前なら包丁,占い師なら水晶玉みたいな。
プロでなくてもテニスの試合に仲間がラケットを忘れてきたような時に「商売道具を忘れやがって・・・」とからかわれたりする。
そういう意味では塾講師の商売道具はチョークとか?
しかし,教材作成やいろんな事務作業も多い仕事だからパソコンも重要な商売道具だ。
昔,金ぴか先生のように派手な装いの講師がいたが,そういう場合は衣装も商売道具かもしれない。
たまに着ぐるみで授業をする講師が今でもいるとかいないとか。
ウチの塾に話をもどすと,普段は演習中心なのであまりしゃべらないから喉(声?)は商売道具ではない。
何がないと成立しないかとあれこれ考えたときに,行き当たるのが
コレだ。
「眼」
そう,生徒を見る「眼」である。
演習している時に,どんな様子でやっているかとか,どんなスピードで解いているかとか,今どの科目をやっているかとか,いろんなことを見ながら演習させている。
たぶん学校の先生は生徒をこんなに丁寧に見てはいないと思う。
だいたい前で板書してしゃべっていたら忙しくて生徒一人一人を観察することはできない。
演習させている最中だとその観察に専念できたりする。
でもあまりうっとおしく感じないように,1か所でジーッと覗き込んだりはしない。
遠目に,他の仕事をしている風を装いながら,生徒の様子を見ているのである。
かなり細かいことも見ている。
生徒の目線の動き。
答を見てその正答を写すのはいいが,その回数を見たりする。
たとえば,英作文の答えを写すのに,何度も何度も答えを見ているのはダメなのだ。
少々長い文だと,いちいち解答に目をやっている。
How long does it take from here to the station?
くらいになると,
Howを見てHowと書く。longを見てその次にlongと書く。
does itでdoes itと書くというように,コマ切れで写していく。
それでは次回に自分で何も見ずに書けるようにならない。
せめてHow longでHow long,does it takeでdoes it takeというくらいのカタマリで写す。
できれば一文を暗記してから,一文全部をスラッと書くのが理想。
そういう目線の動かし方も観察しているのだ。
さらに,塾生の帰った後,その残していった教材を念入りに見て次回に演習する範囲と内容,分量などを演習しているときの様子も思い出しながら選定していく。
このときの教材を見る「眼」が重要なのだ。
これが狂ってくるとせっかく他塾でなくウチの塾に来ていただいている値打ちがないというものだ。
その生徒に最もフィットするように内容を一人一人考えて設定している。
他に「眼」が商売道具だった人を知っている。
これも意外に思われる職業の人だ。
その人は,
世界の盗塁王=福本豊氏
「いや,盗塁の商売道具は足でしょう?」
と言われそうだが,実は盗塁は「眼」でしていたのだ。
他の人に見えないものが見える「眼」が一流のプロの商売道具だったのである。
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