[2012年5月6日]
人生とか受験はよく山登りにたとえられるが,本当に共通点が多い。
コツコツやらないとダメ。
山登りをするのに,山頂までマイカーで行くとかヘリで降りるとかはあり得るが,それが可能な山が限られていたり,お金が莫大にかかる。それに,自分の脚でコツコツと登った登山で得られるモノと何か違うのではないか。
大学なども推薦とかエスカレータ式に上がれるところもあるし,お金を積めば入れるところもあるだろう。これも勉強して難しい入試をくぐってたどりついた人との差があると思う。
ちゃんとやれば誰でもできる。
たとえば富士山は日本一高い山だが,しっかり準備したらたいていの人は登れる。
同じくらい誰でも国公立大学に入れると思う。
富士山は8合目を過ぎると特に空気が薄いこともあって,非常に苦しい。でも一歩一歩頑張るとなんとか山頂に出られる。そんなに屈強な人間でない私が登れたので,体力的に登れない人はそれほどいないと思う。
一方,たとえば国公立大に入るのは富士山に登るようなつらさはない。それこそコツコツとできることを増やしていくだけ。
現実はどういうわけか途中であきらめて簡単に入れる私立大へと流れてしまう。
先に書いたように楽に入れるところは値打があるのかどうか。
準備に時間がかかるから値打があるのではないか。
そして世間はそういうところをちゃんと見ているのである。
経験者のアドバイスが大切
一昨日は十数名が山で遭難したようだ。
予報でも天候の急変に注意と言っていたのに・・・
何度も登山経験のあるベテランが複数いてもそのような遭難がある。
山を甘く見てはいけない。
しかし,しっかりと準備しておれば今回も遭難せずにすんだと思われる。
今回おそらく友人をさそって登った人は,自分は登山経験が豊富であったが,素人に近い人を連れて歩く経験はなかったのではないか。
自分だけなら天候が急変しても急いで安全なところまで行くか引き返すことが可能だ。
歩くのが自分の10倍くらい遅い人間がこの世に存在するなんて思いもしなかっただろう。
自分が登るのとガイド役とは別次元の能力が必要だ。
これは勉強にも当てはまる。
東大や京大の人間は教育者としてどうか。
自分があたりまえにできることを基準にすると,今回の遭難みたいなことが起こりかねない。
実際,「こんなことがどうしてわからないのだ!」と恫喝する教員はどこの学校にも複数いる。
しかし,だからと言って,三流以下の大学卒の人間に教職は務まらない。自分が経験していないことは指導できないのだ。ある程度はしっかりと勉強できた経験を持ち,それを客観的に分析できる能力が必要なのだ。
気持ちが大切
山登りの名言「そこに山があるから」のように動機は何でもいい。しかし,そこに行きたい気持ちがないと行けないのである。
で,ちゃんとした指導者にガイドしてもらったら,誰でも行く気さえあれば行けるのである。
ここでガイドに行く気を持たせてくれるのを期待してはいけない。
五輪を目指す選手のコーチみたいなものだ。
五輪に出場したいならこうしなさいとアドバイスするが,そうまでして出場したくない選手はそれができない。
今の生徒たちは勉強をしようと思えばいくらでもできる。
なのにしないのは2通りの場合が多い。
1つは勉強する気が全くない生徒。
そういう生徒は世の中を甘く見すぎているので,どこかで困ることになる。
今はフリーターとかニートとかで生きていけるのが良くない。
社会保障とかはやる気ない人には適用しないくらいにすればいい。
そういう現実を知ればやる気を持つ生徒はいる。
2つめはやる気はあるが,今の習慣・慣習・しがらみから抜け出せなくてもがいている生徒。先日来書いているクラブ活動に囚われてしまっている生徒もそうだ。これは周囲の大人が脱出させてあげないといけない。放置しておくとはじめからやる気のないバカと同じ人生を歩むことになる。
すごいのはやる気がある生徒にガイドも含めた環境を与えた場合。
これはウチの塾で実証済みだが,いくらでも学力がつく。
そう,山登りと勉強・人生は大きな違いもある。
山は別に登らなくてもいいが,勉強はしないと困るのだ。
人生をやめるわけにはいかない。
充実した人生には勉強は不可欠。
人生=勉強
やる気がないなどと甘えている人はちゃんと生きていけないのだ。
人生という登山で遭難しないようにしっかり準備する期間が中学〜高校の期間だと思う。
さて,今日の順位は?
↓↓↓
にほんブログ村
にほんブログ村