[2012年5月26日]
藤田恵美さん作った「OMOIYARIのうた」のことをTVでやってた。
こういう曲をすべての小学校で歌うようにしたらいいと思った。
小学生になら「自分がされたらいやなことを他人にしてはいけませんよ」と教える。
そこをスタートにしたらいいが,やがてそれでは十分でないことに気づかせないといけない。
中学や高校では「その人のして欲しいことを察してあげてやってあげる」とか「その人の本当に必要なことをやってあげる」というように他人のことを真剣に考えることが「思いやり」になる。
「自分がされたらいやなこと」というのは自分本位の考え方にすぎないのだ。
たとえば自分はタバコが嫌いだから他人に禁煙を強いるようなもの。
その他人さんはタバコが吸いたいかもしれないのだ。
それでタバコを吸わせてあげるのがその人のためになるかというとそうでもない。
その人の健康を本当に考えてあげたらタバコを吸わないようにしてあげるのがいい。
すると自分が嫌いなタバコを吸う人が減り,タバコを吸う人の健康も良くなる。
結果として他人がタバコを吸わないようにしたのは同じだが,自分本位の考え方よりも他人への思いやりで考えた方がうまくいく。
勉強の場合はどうか。
勉強が嫌いだった大人たちが子供たちに勉強しなくてすむようにした。
たぶんゆとり教育ってそういうことだったのかも。
それで多くの子供たちはよろこんだ。
嫌いなことをしなくていいから。
でもよく考えたら子供の時にちゃんと勉強しておく方がいい。
だから今は逆に教科書も厚くなって勉強時間を増やす傾向になった。
これは子供に対する思いやりが進化したのだ。
ところで,そのような「思いやり」を「自分勝手」にすりかえるのが上手な人がいる。
ちょうど今ごろは中間考査のシーズンだが,定期考査をしない学校の先生が少なからず存在する。
某学校の中間考査の試験科目を見ると,英語・数学?・数学A・現代文・生物・化学 以上。
ン?
社会科は?
社会科の先生曰く「いやあ,1学期の中間は試験範囲が少ないのでできないんです」とか。
これは第一段階の「思いやり」の仮面をかぶった「自分勝手」なのだ。
先生も勉強が嫌いだったわけで,生徒も試験が無いと喜ぶと考える。
自分がされたら嫌なことを生徒にもしなくていいようにしてあげた?
しかし,範囲が少なくっても試験をしてあげないと覚えないし,今回の範囲を済ませておかないと期末試験の範囲が膨大になるなど,生徒のためを思えばやっておいた方がいいのではないか。
実はその先生は第一の「思いやり」すら持っていないのである。
つまり,試験を作ったり採点するのはめんどうなので,うまい理由をさがして試験をしなくてすむようにしただけ。
自分が楽をしたいという気持ちしかないのである。
しかし,生徒からは文句は出ない。
当面,試験科目が減った方がうれいしいから。
保護者も疑問に思うだろうが,面と向かって抗議するほどのことでもなさそうだ。
かくして,誰も文句を言わないからうまく試験をせずに済む。
あなたの学校にそんな先生はいないだろうか。
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