[2012年9月1日]
今日は防災の日。
なぜ今日9月1日が防災の日なのか,知らない人がいたら,防災教育がうまくいってない証拠だ。
昔から,この日だけ避難訓練をしているのに疑問を感じていた。
しかも型にはまった訓練。
実際の現場でいかに冷静に最適な行動をとれるかを訓練する必要があるのに。
ちょうど昨日,フィリピンで地震があって日本の沿岸に津波注意報が発令された。
津波の波高予想は難しいので,第一報で50cmというのはわかるが,すでにフィリピン沿岸などで波高が20cmもないことが判明してからも2時間ほど「念のため」に50cmの津波に警戒し続けるというのはナンセンスだった。
こういうことが「オオカミ少年」みたいなことになっていくのだ。
もっと,真面目に取り組んでもらいたい。
と言ってもどの部署の人も真面目にやっているつもりだろう。
社会全体が不真面目なのだ。
あれだけの被害のあった震災後,2年もしないうちにすでに風化している防災意識。
まだ記憶の新しいうちに,みんなで真面目に防災に対する「しくみ」をつくろうではありませんか。
構想は数十年後。
社会の中核をなす人が,現状の防災についての問題点をひととおり全員がわかっているという状態をつくる。
具体的には,今の小学生が毎年,複数回,きっちりとしたカリキュラムに沿って防災教育を受ける。
「型にはまった避難訓練にはこういう問題点がある。」
「オオカミ少年現象という心理的危険がある。」
「防潮堤をいくら高くしても破壊される危険性がある。」
「防潮堤はいざという時に閉まる保証はない。」
「防災にはお金がかかる。」
「防災にかこつけて悪徳業者がはびこることがある。」
などなど,あげればきりがないが,問題点を共有した大人が多くなれば,そういう意識で行政を見ることにもなる。
役所や議員に対する注文の内容も変わってくるだろう。
その役人や議員も防災についての知識を現在よりもまともに持っているような社会に変わっていくはず。
何より,マスゴミにいる現在の人はゴミだが,将来にちゃんと社会正義と知識を持った人間がちゃんと報道するようになるだけで,かなり社会の安全性が高まる。
社会を構成するあらゆる人間が防災意識を高めることが,社会の安全性を高めるのである。
現状はごく一部の意識の高い人だけが,防災講座を聞きにいったりするだけ。
防災教育,講座は,現状あちこちで見られる。
自由意思,自由参加。
やる人も聞く人も自由。
でもその人は全社会の構成員のごく一部だ。
学校教育で全ての子供が教育を受ける以外にすべての大人がちゃんとした防災意識を持つには至らない。
そこで問題点。
学校教育でやるにしても,教える教員のスキルがまだまだ低い。
早急にまず教員研修のしくみをつくるべき。
しかし,こんなことは真面目にやる気になれば数年でできることだ。
それを各方面からはたらきかけて実現させたいと思って,今動いている。
このブログで独り言を言ってても社会は変わらないから,具体的に動かそうと画策中だ。
今日は防災の日だが,その日だけ防災を考えるというようになってしまっている。
むしろ,その日に何かイベントをやればノルマ達成でOKみたいな状態。
防災について毎日考えている市民が100%になれば,それはかなり安全な社会であるはずだ。
私の考え,構想に「反対」の人に今まで出会ったことがないのだが,もしも反対意見を言いたい人はぜひ連絡が欲しい。
逆に,反対意見がなく,大賛成の人が多いようなら,この方向性で動かないはずがないではないか。
そういう希望の光が見えている。
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破壊された堤防の向こうにあの「一本松」が写っている。
陸前高田に行って,惨状を見てまわった。
帰ってきて一本松の写真を撮り忘れたことに気づいたが,奇跡的にこの1枚に写っていたので,そのことにこの松の生命力?を感じた。この松の頑張りに応えてあげたい。
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