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尾崎塾
富田教室

[2012年10月31日]

現代文の解答解説に納得がいかない理由

ウチの塾の現代文の指導はキーワードに着目させるようにしている。

この解き方でかなりの問題の正答率が上がるのだが,困ったことに問題集の「解答」と食い違う場合がある。

自信を持って選んだり書いたりした答が「解答」と異なっていたという経験は多くの受験生にあるだろう。
その時,「ああ,自分は現代文の力がないんだ」と謙虚に学ぶ姿勢も大切だが,問題集に載っている「解答」が「正答」とは限らない点に注意が必要だ。
ここで「解答」は問題集の解答解説の執筆者が正しいと思っている答のことで,「正答」は問題の作成者が正しいと思っている答のことと定義する。
「正答」を答えないと点数にならない。

予備校の模試の場合,問題作成者と解答解説の執筆者は同一人物だから「解答」と「正答」は一致する。
しかし,問題集の「解答」は大学が「正答」を発表している題材でつくられているとは限らず,問題集の執筆者が正答と思っていても,実際の入試の「正答」とは異なる場合がある。

もちろん,「筆者」と「出題者」の区別もしっかりしないといけない。
「筆者の考えを答えなさい」という設問には要注意だ。
「筆者がこう考えていると出題者が思っていることを答えなさい」と読み替えて答案を書かないといけない。
さらに,「筆者」が書いた文章に「登場人物」が出てきたらさらにややこしい。
「筆者」は大抵の場合「登場人物」の言動によって何かを主張するのだから,「登場人物の考えは何か」と「出題者」に問われたら,「登場人物の言動を通じて筆者はこれが言いたいのだと出題者が考えていることを答えなさい」と認識して答案を書くべきなのだ。

さて,話をもどすと,大学入試の出題者が「正答」としているのと,問題集の解答解説執筆者の「解答」が異なる場合があるのかどうか。
それなりの大先生が解答解説を執筆しているはずなのだ。
しかし,予備校講師でもない大先生(これは学校の大先生もそうだ)の「解答」は実に主観的で思い込みの入った「誤答」である可能性がある。

ウチの塾の教材にもそういった「誤答」を「解答」としている例が時々ある。
どのように言葉を拾っても登場しない言葉を「解答」に書いてある。
img1 例:傍線部「夢を奪っている」とあるが,この「夢」を文中にある他の言葉で置き換えるとしたらどのような言葉が最も適当か。
という設問の答は,その直後に「すべての遊びが奪われ・・・」とあるので「遊び」でよいだろうが,この問題集の執筆者は他の言葉を「解答」に書いてあった。
このような場合,「奪う」というキーワードをさがしてその直前の単語を答とするのがウチの塾の「教え」なのである。そのようにして答をさがさずに,意味を考えて深読みした「解答」はおそらく入試の「正答」ではないだろう。
解答解説に納得がいかない理由はカンタンで,それが「正答」でないからである。
「出題者」がそれを「正答」とした理由もカンタンで,それが文中に書いてあるからである。
両者が食い違うことが時々あって,その場合に受験生は納得がいかないのである。

これは東大や京大は別にしてという話。
一般の私大レベルならキーワードつながりで解答していくと確実に答が見つかる場合が多い。
ちなみに今日例にあげた問題は立教大の過去問。
解答解説の執筆者は・・・ネットで調べても出てこない・・・
どんな大先生なのだろう?
そんな問題集を使うなと叱られそうだが,問題自体はいい問題なのだから,日々の練習用に使わせてもらっている。



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