[2012年12月28日]
「7×8の計算はたいへんだ。
7が8つあったらいくらになるかを計算しないといけない。
えーっと,7+7+7+7+7+7+7+7+7=63
あれっ? あ,7を9つ書いちゃった!」
この話を聞いてどう思うか?
多くの人は7×8=56
九九を覚えていたら一発やん!と思ったに違いない。
そうなのだ。
覚えていたら一発。
逆に言うと,覚えていなかったら毎回毎回めんどうな足し算をするハメになる。
しかし,九九を覚えるというのは相当に労力がかかる。
小学生の,まだ先生に反抗することを知らない時期だから無条件にみんな覚えていくのだ。
それが日本の中学生や高校生の学力をささえている。
先に苦労しておくから後で計算が楽になる。
一方,大人になると各自の「賢い判断」が必要となってくる。
たとえば運転免許。
これは,取得するのに相当のお金と時間がかかる。
教習所に30万円とか時間も100時間くらいかかるのではないか。
しかも車を購入すると100万円以上かかる。
これが取り返せるかどうかが「賢い判断」にかかってる。
仮に,車を運転できることで,移動時間が1回につき1時間短縮できるとしよう。
年間にこれが100日あれば,取得に要した100時間はたった1年で回収できる。
将来何十年にもわたってこの時間の節約ができるメリットは大きい。
コスト面でもかなり有利になることを多くの人はわかっていない。
中堅の会社員なら1時間あたりの給料は2000円になる。
これで100時間浮かせることができれば年間に20万円のメリットがあると考えよう。
運転免許取得に100万円かかっても,5年で元がとれる計算だ。
若い頃は時給が1000円であっても,10年で十分に元がとれる。
したがって,運転免許取得にお金と時間をかけておくことは意味がある。
この運転免許をたとえば55歳になって取得することに意味があるか?
たしかに,勤め終えるまでの最後の5〜10年間で元がとれる気がするかもしれない。
しかし,この人は自動車に乗れたら有効に活用できたであろう,22歳から55歳までの30年以上にわたって無駄な移動時間を使ってきたのである。それを考えると,今さら55歳で免許を取得しても到底過去の失われた時間を埋め合わせることはできない。
しかも,55歳になって運転免許を取得するのは,20歳の人が取得するのと比べて余計に時間がかかる。いろいろな面で老化してるから。
このように,先にやっておけば,その後の長い人生にわたって有効な事柄は山ほどある。
その山ほどあることの中で,最も人生を左右するのが「学校の勉強」である。
中学生の時にしっかりやっておかなれば,大学受験の時にかなり苦労する。さっきの55歳の人の30年に比べたら,まだ3年間だから取り返せるが,しかし相当な苦労が必要だ。
100人いたら99人はその必要な苦労をできないのが現状。だから,思った大学には行けず,「中学のときにもっとやっとけばよかった」となる。
ここで注意すべきは「高1のときからちゃんとやっとけばよかった」にはならない点。
高校に入ってしまうと,その高校の周囲の様子に影響されるので,高1の時から必要な勉強量を確保するなんて,これまた100人に1人もできないのである。
入るのならそれなりのレベルの高校に入っておかないと,高校1年生や2年生での挽回はほぼ不可能といえる。結局高3になって3年分の遅れを取り返すことになる。
正月に帰省したりすると,親戚の方々の無責任な声を聞いてしまうかもしれない。
正月からせっかく勉強しているのに,「○○ちゃん,そんなに頑張っていい高校に行かなくても,高校で頑張っていい大学に入ればいいやん」とか言われるかもしれない。
あるいは,中学の先生が全くそういう指導だから,1月以降もいろいろと声をかけてくれる。
「不合格になる可能性のある高校で最下位で苦労するよりも,確実に合格できる高校で,上位にいた方がいいよー」とか。
冗談じゃない。
「鶏口牛後」にはならず,「井の中の蛙」になる可能性が99%なのだ。
しかも,実際は下位の学校でトップになるわけでもなく中ぐらいに納まるにきまってる。
上位の高校で最下位で入学なんてことはなく,実は上位であることも多いのは先日書いた。
周囲の大人がその生徒の人生をしっかりマイナスの方向へ導いて下さる。
ありがたいことである。
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のぼるさんありがとう