[2013年1月17日]
震災当日6時すぎにはTVもわけわからん様子だったが,時間を追うごとにえらいことになっていることが伝わってきた。
どうやら神戸の方が被害が大きいようだ。
どんどん被害状況が報じられていく。
揺れている最中は,
直下型?有馬高槻か?
南海地震か?
などと考えていたが,今思うと南海地震のような揺れではなかった。
一昨年3月の東日本大震災のような海溝型の巨大地震では,もっと周期が長く,船酔いしそうな揺れになるのだ。
確かに直下型の揺れであった。
一番に考えたのは,自宅近くを走る活断層帯=有馬高槻構造線が動いた可能性。
実際には淡路島の野島断層が震源断層と後に判明するが,いずれにしても活断層が動いたわけだ。
月曜日だったので,当然出勤の日であるが,おそらく学校は休校にせざるをえない。
しかし出勤できない先生も多いだろう。
当時,学校の敷地に職員住宅があって,そこに住んでいる先生方がかなりおられた。
その方々は出勤できるだろうが,他の教員の出勤は困難と思われた。
自分の家も学校から6kmほど離れており,車で通勤していたが,当日はかなりの渋滞が予想されるので,自転車で出勤することにした。
途中,学校までの通り道にある活断層を観察したが,動いた形跡はなかった。
9時すぎに学校についてみると,やはり何人かの先生はいたが,出勤できない先生も多かった。
手分けして校内の様子を見て回った。
おそらく茨木の学校なので震度5くらいだったと思われる。
ある教室の様子
下足室の様子
顕著な被害はなさそうで倒壊の危険は感じなかったが,建物にヒビが何か所か入っていた程度。
ちょっと怖かったのは理科室。
薬品がこぼれて有毒ガスが発生していたらどうしよう・・・
ただ,幸いなことにそういう顕著な被害もなかった。
理科室の様子(本棚が倒れた)
理科室の様子(気柱共鳴実験装置のガラスが散乱)
しかし,薬品の管理は,実は危なかった。
運が良かっただけともいえる。
震災後にちゃんと地震がきても大丈夫なように保管するようになった。
どこの学校でも同じようなものだったかもしれない。
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