[2013年3月6日]
早朝6時の授業開始時に,東の空が明るくなってきた。
夜明け前って感じで,入試直前にはいい雰囲気だ。
何となく煙っているように思うのは気のせい?
PM2.5の影響か?
このPM2.5もそうだが,素人が過剰に心配しすぎるのはよくない。
何が良くないかというと,この2.5という数字だ。
こういう数字がついていると,数字に弱い人を中心に何か不気味な印象を持ちすぎるのである。
わからないモノは怖く,よくわかってるモノは怖くないのだ。
活断層の議論もその部類。
数字に弱い人と数値を根拠にした議論をするのは無理。
最近12万年以降に活動したモノと定義していたのを,40万年以降にしたとか。
普通の人には12万年も40万年も200万年も2億年も全く同じようにわからない大昔の話。
不安なので,とにかく絶対に安全な方向を望む=活動確率0.0000000%を望むというアホなことになる。
そんな確率を期待している間に,空から隕石が降ってくるだろう。
そういうわけで,科学的な議論を今の原発周辺でやろうと思っても全く無理。
数値的な感覚に長けた人ばかりで議論しないと,全く無意味な堂々巡りになってしまう。
さて,入試で出てくる数値もしかり。
偏差値などは最たるものだろう。
統計的な数値の見方を勉強していない人が偏差値を根拠に何を語れるのだろうか。
もっと簡単に見える倍率についても,どうして受験生や保護者や,ましてや学校の指導者が重要視するのかわからない。
失礼だが,保護者の方も受験の数字に関しては何も言わない方がいい。
わかりっこない。
受験生本人には,自分の感覚というのがあるので,説明したら理解できる可能性がある。
保護者の方には,よほど数値解析の素養がないかぎり,偏差値のからんだ合否予測は一切見ない方がいい。
こどもに不要なことを言ってしまうだけだから。
学校の教員の指導も全くナンセンスなので,無視できる人は無視した方がいい。
学校の先生は,原発に隕石が降ってくる確率さえも0%にしようとする生き物なので,合格可能性の議論をするだけ無駄なのである。
合格するかしないかは,そういう数値とは別のところにある。
経済学の需要と供給の関係と似ているので,その時の相場になるのである。
ただ,今年の大阪府立高校のように,制度が大きく変化すると,過去のデータが使えないので読みにくくなる。
できるだけ学力を高く高くして受験するしかなく,そうしたからと言って合格する保証はどこにも全くないという状況なのだ。
ベストを尽くすということに価値を置いて,人事を尽くして天命を待つしかない。
そういう開き直りも大事だ。
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