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尾崎塾
富田教室

[2013年4月18日]

個別指導という言葉の幻想3

本来の個別とは,その生徒に応じて最適な個別の対応をしてあげること。
それには指導の「自由度」という概念が必要なのである。
生徒の学力に応じて教材を変える自由度は?
教材が3種類しかなければ自由度は3だ。
教え方のレパートリーが2種類しかなければ自由度は2だ。
生徒に応じたカリキュラムというものがあるが,そういった自由度は1かもしれない。
自由度が少なくとも生徒の数以上あるのが「個別指導」の最低ライン。
あとは,その指導が生徒にフィットしているかどうか。

ウチの塾のめざしているのは,自由度が無数にあって,その生徒に今一番必要なモノを提供できる状態を保つこと。
そういうのが本当に個別に対応しているということだと思うが,これを「個別指導」と看板や広告に書いて売ったりしていない。
世間に広まっている「幻想」を売る個別指導と同じと思われるのが嫌だから。

世の中の生徒・保護者が本当に求めているのは,生徒1人に講師が1人べったりとくっついて指導する「形」ですか?
それとも,生徒の状況に応じて個別に「自由度高く対応してもらえる指導」ですか?
どういうわけか,前者の「形」を買えば後者の「自由度の高さ」もついてくると期待している人が多いように思う。
よく考えてもらいたい。前者の「形」は後者の自由度をむしろせまくしている。
世の中に有能な講師はそんなに多くは存在していないのだから。
無能な(言い過ぎ?)講師が,いくらべったり張りついてくれても意味ない。
有能な講師なら30人のクラスでも生徒の状況を把握しており,個々に対応してあげられる。

プロ棋士が10人くらいを相手に指導対局する場合がある。
あれでも,個々の対戦相手に応じてうまい具合に局面をコントロールできている。
ところが,実力のないアマチュア棋士がそれをやっても,必死で勝とうとするだけで相手の指導をするところまで余裕がない。
1対1で余裕のないアマチュア棋士と対局して,コテンパンにやられるか,プロ棋士の多人数相手の指導対局を受けて自分の弱いところがよくわかるような指し方をしてもらえるか。
どちらが良いかは自明だろう。

img1 このように個別に細かく指導する場合もたまにはある。



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