[2013年4月20日]
こうも考えている。
国公立を目指して勉強したことが完全に無駄になるのか?
よく,「高校で習った数学なんて,世の中に出て役に立たないよねー」などとホザいている連中がいるが,そういう考えの人とは話が合わないし,少なくとも教育業界からは追放したい。(←多くの小中学校教師がそう思っているという事実を揶揄)
勉強というのはすべてつながっているのだから,高校の数学が役に立っていないはずがない。
むしろ和差積商などはたいして役に立っていなくて,高校で学ぶ高等な数学の方が役に立っているに決まってる。
役立てるように,うまく頭をつかえばよいのであって,せっかく勉強したことを使わないのは単に頭が悪いだけだ。
自分は習ったことを他のことと関連付ける頭を持っていないことを自慢しているようなものだ。
そういう人にはなって欲しくない。
こういう話は大学入試の場合だけだったのが,昨今は高校入試にも広がってしまった。
つまり,大阪府のアホな教育担当者のせいで,公立前期入試が英数国だけで受験することになった。
内申点はあるものの,理科や社会を勉強しなくても文理科など高校の上位校に入れてしまう。
やはり,受験勉強としてしっかりやるかやらないかで,定着の度合いがかなり違ってくる。
将来,大学受験で国公立を目指す時にきっと困るに違いない。
科目が少ない方が,受験生の負担が少ないなどと誰が言い出したのだろう。
学力をつけないで大人になれば,その学力がないということが負担になってくる。
学力をつけておくことが,将来の負担を減らすことになるのだ。
それがわからんのかな?
「脱ゆとり」が流行している。
ちょうど今朝のNHKの番組でやってた。
いつも頭にくるのが,円周率が悪者にされている点。
円周率愛好家としては非常に腹立たしい。
ゆとりの象徴のように言われるが,「円周率=3」のどこがダメなの?
この議論を挑まれてちゃんと答えられるのならよいが,世の評論家たち,お母さん方,小中学校の先生方で答えられる人は皆無。
逆説的だが,円周率=3と丸めることができる「賢い頭」をつくるチャンスだったのに,それを生かそうとすることすらできない「悪い頭」の指導者をつくってきた,それまでのいわゆる詰めこみ型教育の根本を批判すべきなのだ。(←長い文だけどわかる?2度読むべし)
円周率=3を正しく指導できる教員は,有効数字を正しく把握できている賢い教員。
それがほとんど存在しない。
世間の多くの大人もこぞって理解できずに批判する。
一部の賢い人が円周率=3でよい指導を提案したら,それを指導できないアホな教員ばっかりだったというわけ。
まさか,こんなに世の中アホばっかりだとは思わなかったのだろう。
特にマスコミの数値音痴についてはこのブログで何度も指摘している通り。
むしろ,だめだったのはその「ゆとり」以前の時期の教育だ。
たしかに,私も含めてちゃんと数値の扱い方を教育してもらった記憶がない。
私などは例外的に理科が大好きだったり,野球が大好きだったので,日々数字とにらめっこして育った。だから,教育制度が機能していない中でも数値感覚が身に付いた例外だろう。
ちゃんと数量を扱える大人を増やしていかないかぎり,明るい未来はつくれない。
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