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尾崎塾
富田教室

[2013年9月18日]

いつまでも同じことの繰り返しをしてる場合ではない

どうすれば人が死なないですむか。
ちょうどよい例が昨日の判決にある。

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東日本大震災の発生直後、宮城県石巻市の高台にある私立日和(ひより)幼稚園から海側に出発したバスに乗せられ、津波に遭った園児5人が死亡した事故で、仙台地裁は17日、園側に約1億7700万円の賠償を命じた。判決は遺族の主張をほぼ全面的に認め、園の「失態」を次々と認定した。(朝日)
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遺族の方はこう考えたいのだ。
「あの子の死を無駄にしたくない」

気の毒なようだが,あえて言う。
親の気が済むだけだろう。

この裁判で勝てば,それは死を無駄にしなかったことになるのか?
死を無駄にしないとはどういうこと?
次の犠牲者がなくなる方向に社会が動くということだろう。
この裁判で勝つと,そうなるのか?

残念ながら,ならないのだ。

幼稚園が悪いなどと,犯人さがしをしてもダメ。
そういう発想を根底から変えないと,また犠牲者が出る。
だから,この裁判で勝つということは,その子の命を無駄にしないどころか,ますます死ぬ人を再生産していることになる。

とても遺族の方に,この理論は通じないだろうが,実際そうだ。

どこまでいっても,人間に過失はある。
大津波が予見できなかったことがイチイチ過失とされて罰せられるのか?
石巻の住民はすべて予見できてなかったことになる。
みんな,過失があって死んだ。
それでいいのか?

私が主張したいのは,アチコチで過失があったとしても死なない町づくりをすべきということ。

今回だって,車の渋滞がなく,日和山の頂上に多くの車がすんなり上がれていたら,多くの人が助かっているはず。
先日,実際にその日和山に登ってきた。
駐車場は少なく,神社があって,頑張れば200台くらいは登れるかという程度。
もう少しスペースを確保して,1000台はいけるように整備すればよかった。
そうしておいて,車でピューンと逃げられれば助かった人も多いだろう。

そういう町をつくればよいのだ。
そういう町にしておけば助かったのだ。

今は,今までは,渋滞が発生するから車で逃げてはいけないという。
だから,逃げるのがおっくうだ。
山へ歩いて登るのはしんどい。
もし登っても津波が来なかったら無駄になる。
だから被害に遭うのだ。

非常に簡単に車で避難することを可能にする。
これを全国に広める。

今回の幼稚園の園児が亡くなったのも,渋滞が原因。
他の多くの人が亡くなったのも,逃げ遅れ。
車で即座に逃げられる町にしておくだけで,ほとんどの人が助かっているはず。
そういう町にしなかった,石巻の人々,東北の人々全員の責任だし,そう考えて今の和歌山や高知の人は安全な町をつくり始めないといけない。
今すぐはじめたら間に合う。

根本的に考え方を変えよう。

園の責任を追及しても,安全な町はできないのだ。
ほとんど無駄。

もしも無駄にならないとすれば,今ここに書いたように,将来に何万人もの命を助けることのできる町づくりの考えを普及するために,その賠償金1億7千7百万円を使うべき。
(俺に渡せと言いにいこうかな?無理だろな・・・)

img1 この写真,そのバスが走ったあたりが写っている。
ちょうど先日14日に撮ってきた。
高台への道は入り組んで,車がスイスイ登れる道が少ない。
実際に走ってみたが,狭くて引き返した道があるくらいだ。
立ち退きとかでもめることなく,強制的にまず道をつくる。
そういう発想ですべての町をつくらないといけない。
全員の発想転換があれば,命は救える。
発想転換にお金はかからない。
あとはそれを主張する人が過半数を越えるように活動すればなんとかなる。
そのためには,その考え方を全ての小中学校で教えるべき。
すると20年後にはパラダイム転換が起こる。


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