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尾崎塾
富田教室

[2014年5月27日]

AKBの事件で思うこと

はじめ,ニュース速報でAKBの二人がケガをしたと聞いて,まず,誰?と思った。
いや,犯人ではなく,ケガしたのは誰かということ。

これは多くのファンがそうだったのではないか。

ウチの塾ではみぃちゃんを推しているので,まさかみぃちゃんではないかと心配したのである。

しかし,ケガをしたのが他の二人であると聞いて,「よかった」とはならない。
今度はこのような事件に対していろいろと考えることになるのである。


AKBはたしかに社会現象的に世間に広まってはいるが,ファンというくくりではごく限られた人間のものだろう。
イベントというくくりでは,様々な会場で起こり得ることなので,関係ありそうな人間は少し拡大する。
とはいえ,特定の人間にしか直接関係ないし,多くの人がこのような被害に遭うことはないはず。

ところが,ちょっと話は別の方向にいくが,自然災害はどうだろう。
すべての人が被災,ひょっとして死亡する可能性がある。
このAKBの事件で考えたのはこのことなのだ。

つまり,何か大きな災害や事故が起こると,マスコミの報道は「邦人の被害者はいなかった模様」などとなる。
これは,みぃちゃんがケガしたのでなく,ホッとするみたいな話だ。
ところが,報道の雰囲気が,意図はしていないかもしれないが「よかった」となっている感があるのだ。

ここにいつも違和感がある。

たとえば,AKBのファンでも何でもない方には推しメンはいないので,今回のニュースでまず第一報の「誰が?」という疑問は沸かないはず。
とりあえず,命に別状はないということでホッとはされるだろう。
そして,イベント事についていろいろ考えることになる。

外国での災害もこれと似たところがある。
たまたま知人がその方面へ行っていたら,「邦人は無事」との報道でホッとする。
しかし,何百人も亡くなっているのに「よかった」とはならない。
特に,自然災害では,仮に今回はあなたやその知人に関係がなかっただけで,いつ自分や知人が被害に遭うかわからないのだ。
AKBの事件と違って,直接関係ありありなのに,どうもそれ以上は話題にのぼらない。
だから,邦人が亡くならなかったからよかったでなく,そうやって亡くなる人間をとにかく無くすように全世界の人が知恵を出し合うべきなのである。

2011年3月。
東北であれだけの死者を出した。
2万人近い方が亡くなった。
先日,関西大の学生に何人くらい亡くなったと記憶しているかアンケートをとったら,100人から100万人までばらついたらしく,2万人くらいという数字をあげたのは10人に一人もいなかったらしい。
その程度なのだ。
それでも,日本はまだマシ。
全世界の人が心を一つにしてくれている感覚が少しはあった。

その少し前,2010年の1月に何があったか記憶している人は少ないのではないか。
忘れているというより,インプットされていないというのが正しいと思われる。
どうです?覚えてないでしょう。
ハイチの地震です。
こちらは30万人亡くなっている。
でも,日本人で覚えている人はほとんどいない。
理由は,邦人で亡くなった方がほとんどなかったから。
たくさん亡くなったけど邦人はいなかったので「よかった」。
あるいは,日本とあまり関係のない国なので「よかった」。
ということであまり話題にされなかったのだ。
要するに,視聴率につながらないから報道されないという話。

AKBは視聴率につながるので,しばらくは報道が過熱しっぱなしだろう。
しかし,本当はすべての人に降りかかる可能性がある,自然災害などの報道が大切なのだ。

結局,マスコミに大切な防災教育的な役割は期待できない。
だから,学校教育でしっかりとやる必要性がある。

事件の報道を見てこういうことを改めて考えた。


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