[2014年12月18日]
昨日は非常に寒くて、あったかいラーメンが食べたくなった。
しかし、塾の最寄り駅の摂津富田界隈にこれと言ったラーメン屋がない。
京?という美味しい中華料理屋があったのだが店をたたんでしまったし、ラーメン専門店でもなかった・・・
と、ところが、その元京?の真正面に、ラーメン屋ができているではないか!
速攻入ってトンコツラーメンを食べ、あたたまって帰宅できた。
いつできたのか聞くと、「今日で2日目」とのことだった。
中で店を開いた人の知人が開店祝いに食べに来ていて話しかけていた。
「これは地元の人間には待望やったんやで」
若い店員はうれしそうな顔をしていた。
そうなのだ。
摂津富田でラーメンを食べたいと思ったら、現状では王将しかない。
ラーメン専門の店がなかったのだ。
たしかに昨日の自分もそうだが、ラーメン屋でラーメンを食べたいときがある。
その選択肢がなかった町にそれをつくったのだから、これは地域にたいへん貢献していることになるのだ。
いい仕事をはじめはったな。
そう思った。
ウチの塾では塾生に世の中の役に立つ人間になって欲しいと思って勉強してもらっている。
このことは塾の基本コンセプトであって、すべてそこにつながらないと意味がない。
つまり、高校や大学への進学のみを目的としていないのである。
べつに大学にいく必要のない職業について才能を生かして世の中に貢献できれば、それはそれでバッチグーなのである(死語?)。
ただ、多くの生徒は自分が何が好きで何が得意で、何に向いていてと、将来がつかみきれていない。
そうなると、とりあえずは学校の勉強をしっかりとやって、上位の高校や大学に進学しておくことが今の日本では非常に有利なのだ。
だからウチの塾はそのお手伝いをしているまでだ。
その地域に何が必要なのか、それを考えて実践していくのは一般企業でも収益につながるし、役所が考える部分でもある。
そういったことを集約的に大学で学ぼうということなのか、地域創造学部というのが新設される動きがある。
正直、このような新学部には懐疑的だ。
ここで学んだことを実践するには、それなりの舞台に立たないといけない。
他の例では総合政策学部というのがある。
政策なんて、どんな政党でも実現するのがむずかしいのに、大学で机上の論理を学んだところでほとんど役に立たないだろう。
さて、ここから本題。(例によって前フリ長っ!)
文科省が国立大を3つに分類する。
そして、交付金の分配も見直すという。
何だかよくわからない。
もっとも優れたグループは世界に向けて。
2番目のグループは日本全体に。
3番目は地方に引っ込んどけとしか読めない。
地域の活性化の中核として国立大を位置づけるというのは、さっきの地域創造学部みたいなもので、大学がやることか?
その地域で必要なことは、その地域にそれなりの慧眼を持つ人がいたらわかる。
そして、役に立つ企画があればそれにお金を払う人も出てくるだろう。
地方であろうと都会であろうと世界であろうと、必要なところにお金はまわってくる。
需要と供給の関係は、そんなにおかしなことにはならないのである。
ラーメン屋のない町にラーメン屋が出現すれば、必ず一定数の顧客が見込める。
そして、それはたいへん喜ばれる仕事なのだ。
地方創生とか、聞こえの良い流行の言葉を冠したからといって、地方に大学が大きく貢献できるわけではないのだ。
大学は優秀な人材を輩出し続けるだけでよい。
優秀な教育者が多ければさらに優秀な人材が育つ。
優秀な公務員が増えれば税金をもっと有効に使うようになっていく。
優秀な経営者が増えれば、地方がもっと活性化する企画を思いつく。
そういうことだ。
交付金目当てに地方創生をする大学になるというのは、本末転倒の感が否めない。
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