[2014年12月29日]
街の情報誌「きつつき」に明治時代の地図が載っていました。
昔の高槻から茨木あたりの地図です。
ほとんどが水田ですね。
塾のあるところも、地名が富田ですから、豊かに実る田んぼが想像されます。
田園風景はなくなり、ほとんど宅地になりつつありますが、変わらないことも多いです。
たとえば、鉄道は今のJRの位置そのものです。
こういうのは動かしにくいのですね。
また、国道171号線は明治の地図にはないのですが、塾の目の前の道は当時からちゃんとあります。
太田の継体天皇陵がしっかり描かれていますが、そのすぐ南側の道がいわゆる西国街道というやつでしょう。
ちなみに天皇陵のすぐ北側に直線状に伸びる急崖があります。
ココは活断層なのです。
今は宅地開発で不明瞭になった地形も、このような古い地図を見るとわかるので、活断層研究にはよく利用されるのです。
地形や地名、道路など、今の地図と見比べると飽きませんね。
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