[2015年2月7日]
白鵬関が「こどもでもわかる誤審」と言ったことについて,相撲協会はもっと厳しい態度で臨むべきだと思うが,うやむやになっている。
どのスポーツでも審判の裁定にはしたがわないと成立しないという根本原理がわかっていないのだから,それがわからないのなら出場停止処分もありだと思うのだ。
これは,世の中のいろんな場面でもそう。
他人が評価する場面で,後で文句を言っても仕方ないのだ。
入試もしかり。
特に,学校の定期考査や模擬試験と違って,採点されたものを返却してくれないのだから,どのように評価されているか,受験生側には見当がつかない。
受験生がわかっていないだけでなく,指導する学校の教員や予備校の講師も入試の採点についてほとんど無知であることが多い。
受験生に不安を抱かせている根本原因が,この指導者の無知による不適切な指導だ。
時々紹介する,公立中学校のトンデモ採点は論外として,多くの小中学校の教師が行う採点はいかにも杓子定規。
漢字のトメ,ハネのようなどうでもいいことで間違った採点をしたり,実際には使わない英語を教えていて,それを書かないと点数がもらえなかったりする。
実際の正しいことが基準ではなく,学校の先生の思い込みが基準である上に,それに従わないと学校の成績が悪くなり,進学に直接かかわってくる。
こどもでもわかる誤審であっても,それに文句を言ったら,進路にかかわってくるかもしれない。
模試の採点基準も残念な場合が多い。
模試は入試と違って,多くの受験生が同じ問題を解き,多くの採点者が採点をする。
それこそ杓子定規に基準を決めざるをえないのだ。
採点者の力量に合わせているというのが正確かもしれない。
微妙な理解度の差を見極められる採点者と,表面的にしか見られない採点者が混在しているので,表面的な基準をつくるしかないのだ。
以前,数学の答えがsinθ(1−sinθ)なのを,( )でくくっていないだけで0点になっていることがあった。当然cosを用いて書いていたら×だったのだろう。少なくとも0点はないわ。
さて,実際の入試の採点はどのようになっているのか。
これは世間で考えられているのとはかなり異なっている。
特に大学入試の記述式試験は,大学の先生が本当に時間をかけて丁寧に採点しておられる。
学力の高い生徒を見極める力のある先生が,本当に見極めようとして採点しているのだから,受験生は安心して実力を発揮すればよいだけなのだ。
たとえば,前問で計算ミスして,その値を使って後の問題を解くと,すべて答えが間違ってしまう。いわゆる雪崩失点というものがある。
だが,実際の入試では,雪崩失点はほとんど生じない。なぜなら,その誤った数値を使っていても,後の問題を正しく考えて立式していたらどうなるか,大学の先生はその誤った数値を代入した場合もちゃんと計算してくれるからだ。もしも,正しく計算できていたら,考え方そのものは正しいのだし,計算もミスしていないのだから,ほとんど満点がもらえる。
このような採点は学校の定期考査ではまずありえない。(理由は学校の先生はめんどくさがるから。生徒の学力を正しく測るよりも,自分の勤務時間内に仕事を終えることが重要。)
模試もそういう採点基準にはしていない。
大学入試の記述試験は,非常に安心して受験できる試験なのである。
ちなみに,マーク式や記号選択の問題はどうか。
ここには採点者の裁量の余地がなさそうに見える。
ところが,これも,前問の答えが違っていても,後の問題で正しく処理されていればこの値になるなど,連動して採点するようにプログラムされている場合もある。あるいは,前問が間違っていたら,次の問には正解がみつからないような設定にしてくれている場合もある。
その段階で気づけという意味だ。
大学入試は,意外に受験生に親切な試験なのである。
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